もう勘弁してよ。
地上波VHFだけでもアニメの新番組はもう受け付けられる数を超えています。
というわけで、まだしつこく出てきた4月の新番組『スカルマン』。
いい加減、パスしようかと思ったものの、適当に流すつもりで再生開始しました。しかし、オープニングの最後に出た「監督 もりたけし」の名前に思わず画面に見入ってしまいました。
気になる名前 §
アニメ監督で私が気になる名前というのは、あまり多くありません。
大物の宮崎駿、押井守、コメットさん、MRRからの神戸守、デジモンからの細田守といった名前はともかくとして、あと気になるのは亀垣一監督ぐらいか……。
しかし、もう一人いました。
もりたけし監督です。
『江戸っ子ボーイ がってん太助』という隠れた傑作 §
確か、トップをねらえのアンソロジーコミックか何かで、もりたけし監督はトップをねらえを見てガイナックスと仕事をしたいと思ったという経緯が書いてあったような気がします。しかし、ナディアの途中で裏番組の『江戸っ子ボーイ がってん太助』の監督に就任してしまいます。
さて、ここからが問題です。
ナディアとがってん太助なら、どう見てもオタクはナディアを見るでしょう。
しかし、ビデオを活用して両方を見た私は、圧倒的にがってん太助の方が深く面白いという結論に達しました。
ナディアは、突き詰めていくと、過去のアニメ特撮からの引用の集大成であり、その底を見切ってしまうと面白みが急速に減退するという側面があるように思います。(同じことは、エヴァンゲリオンにも言える)
一方で、がってん太助の方は、本質的に重要な心の問題にまで踏み込んでいます。
その差は、見えるようになるまでは見えにくいものの、見てしまえば絶大です。
東京人の心・本当の「粋(いき)」 §
もううろ覚えなので、以下の内容はかなりいい加減です。
けして信じ込まないように!
がってん太助で最も印象に残るのは、東京タワー(大江戸タワーだったかもしれない) を巡るエピソードです。
東京タワーは、あたかも東京という街の象徴のように見られることもありますが、実は生粋の東京人はほとんど意識していません。作中でも、「子供の頃に連れて行ってもらったきりだな」といった言葉が東京(=作中の江戸)の人たちから聞こえます。
この感覚は、とても良く分かります。
私も、意識的に東京タワーという施設がそこにある……ということを思い起こすまでは、ほとんど意識することもない施設でした。
たとえば、魔法騎士レイアースで、東京タワーから異世界に行く……という発想は、明らかに生粋の東京人の発想ではないと感じます。(そう思ってWikiPediaを調べてみると、大当たり。CLAMPメンバーは大川緋芭=大阪府出身、いがらし寒月=京都府出身、猫井椿=京都府出身、もこな=京都府出身でした)
がってん太助では、「粋」を気取って東京タワーにこだわる者こそが、実は「田舎者」であることをストレートに喝破してしまいます。
そのような感覚を的確に描いた作品は、他にはほとんど無いような気がします。
しかし、これはまだ話の半分に過ぎません。
話は、「粋」を気取る田舎者と、本当の「粋」を知る都会の美女「お竜さん」の対決へと進みます。
ここからが本当に凄い展開です。
勝負はにらめっことなります。
クールな美女の「お竜さん」は、ためらいもなく自分の美しい顔を滑稽に歪めて相手を笑わせて勝ちます。そのあと、何事もなく平然とクールに立ち去っていきます。
これこそが本当の「粋」です。
外面を格好良く維持することが「粋」ではないのです。
この他、このお竜さんは、Hey次が不在の間にそれと知らせずに密かに飼い猫の世話をしてやったり、本当にいい奴とは何か……ということを深く考えさせられます。けして押しつけがましくなく、自分のしたことを吹聴せず、それでいて敬意を受けることができる立派な女性です。
しかしネタも忘れない §
しかし、がってん太助は「トップをねらえ」に出てきた列車と同じ名前の「ウルトラひかり」を登場させたり、先頭車とは別に銭湯車を連結してみたり、遊び要素もおろそかにはしていません。
まず面白さを描く横軸の広がりと、心の深い部分まで描く縦軸の深さを、割と軽いノリでさりげなく流していくのが、アニメがってん太助の持ち味といったところでしょうか。
それは、なかなか得られない希有な特質です。
それゆえに、印象深いのです。
その持ち味が感じられる『スカルマン』 §
第1夜「仮面が踊る街」を見た感想としては、上で書いたような持ち味がまさに出ているように感じられました。
作品全体のノリは軽いと言えます。
ほとんどは御子神隼人と間宮霧子の掛け合いで構成され、検問を突破するピンチ状況も、偉い人の名刺1枚で軽く乗り切ってしまいます。彼らが追う「骸骨男」の謎も、遠くの世界の出来事のようにリアリティがありません。
ところが、これが本当に軽い話なのかというと、そうではありません。たとえば、繰り返される厳しいチェックの描写や、あっさりと軍人に射殺される男。津軽海峡を境に東西分断された日本という暗いバックグラウンド。出来の悪い偽造書類。
御子神隼人と間宮霧子の2人も、見かけほど気楽な人生では無いでしょう。
御子神隼人は、偉い人の家系であるのに、そこから距離を取って生きねばならない何かの「必然性」を抱え込んでいるように見えます。間宮霧子の方も、偽造書類で街に入り込まねばならない立場であり、何か差し迫ったものを背負っているようです。
それにも関わらず、二人は明るくじゃれ合いながら生きています。
そこに心の屈折があり、感情移入できる余地があります。
そして、この第1話の最後に御子神隼人は「骸骨男」に遭遇しますが、ほとんど能動的な行動を何も取ることが出来ません。ある意味で、巻き込まれてすらいません。状況から弾き飛ばされ、断片を見たに過ぎません。
それはある種の屈折、追いかけねばならない心理的な必然性を御子神隼人、更には視聴者に負わせる状況です。
これは、かなり良くできたドラマだと思います。
話は最初に戻るが…… §
しかし困りましたね。
スカルマンは気になります。
しかし、スカルマンまで見ている時間はないのです。