今日は杉並区立郷土博物館の準常設展 杉並文学館に行ってきました。
先週は目先の仕事に心を奪われてどこにも行かなかったのと、(主に体力面での)リハビリのためにどこかに行く必要があると思ったので、近場に行ってみることに。
といっても、無意味な行動ではありません。杉並区立郷土博物館に行くのは、たいていの場合何らかの企画展、特別展等が契機になっていたため、それらが開催されていない期間に公開される準常設展 杉並文学館を見たことはなかったのです。(初めて訪問したとき、企画展はやっていなかったものの、準常設展は準備中だったのかまだ開いていなかった)
ちなみに、既に杉並区立郷土博物館は庭のような感覚なので、いちいち撮影はしませんでした。なので写真は無し。
準常設展 杉並文学館 §
コンパクトな展示です。
生原稿や著書が展示されています。
しかし、当時主流の文学者達が住んだ場所に住めなかった若者達が集まったのが杉並であり、その中には夢破れた者も多いという視点は良かったと思います。
生原稿も作者ごとに個性が違って興味深いと思いました。
情報普及コーナー §
図書コーナーで地図、地名関連資料、区史などを少し見てきました。残念ながら資料の厚みではかなり寂しいコーナーではありますが。
とりあえず、収穫は以下の4点。
- 浜田山は昔の下高井戸と呼ばれた地域の北西端にあたることを確認。つまり、浜田山まで歩いて「思えば遠くに来たものだ」と感慨にふけってみても、実は下高井戸村から一歩も外に出ていなかった孫悟空状態
- 地図「東京水道拡張設計図 大正12年」をあらためて見てみました。すると、下高井戸分水が従来思っていた経路と違うように見えることを発見。都立大塚ろう学校分教室のあたりで神田川(神田上水)に合流すると思っていましたが、もっと手前で合流しているように見えます。目分量で判定するとたぶん下高井戸八幡神社あたりです。
- 向陽中学校の土地にはかつてお屋敷山古墳があったという。って、中学生活3年間ずっと古墳の上で授業を受けていたというのか!?
- 「永泉時ぼろ市」という通称地名が存在した。永泉時が永昌時と合併して名前が無くなった後も、市は有名だったのでそのままの名前で地名になった。
下の3点については、気力と体力があれば別途詳しく書きます。