- 命令を無視して撤退しない古代守
- ヤマトを守るためにミサイルを撃った古代進を叱る沖田
- ヤマトを見上げてランチを転覆させてしまう徳川太助
- 離水するために操縦桿を引けない北野
こういったシーンは昔は理解からかなり遠かったと思います。
しかし、今になってみると良く分かります。
そういうことは、理屈で思い通りになるものではないのですね。
特に、未経験者には。
普段なら操縦桿を引くぐらい簡単な話です。それすらできない人間がヤマトの第1艦橋に来るはずがありません。しかし、そういう人間がやはり操縦桿を引けないわけです。多数の人命と巨大戦艦の実物が手元にあると、責任の重さに身体がこわばって動けないこともあるでしょう。
そういうこともあるから、若者には経験を積ませる必要があるわけです。そういう認識があってこそヤマトは見られるのだ、と思うのならやはりヤマトは大人が見るものであって、子供が知ったかぶりで語れるものではないことになります。
そういう意味で、復活編の天馬兄弟はいいですね。頭でっかちの子供が経験を積んでいく光景がよく描かれています。しかし、そういうシーンは若者側からは「うざい」描写に見える可能性もあって評判が良くないかも知れません。(映画「耳をすませば」はまさにそうらしい。大人が見ると喜ぶが、子供は大きなお世話と思うようだ。「君たちは自分で思っているほど優秀ではないのだよ」という映画とはそういうものなのだろう。それを乗り越えるのが感動にもつながるが、自分の可能性を信じている子供からは嫌なだけかも知れない。というわけで、天狗になっていた子供そのものの坂本はパンツ1枚で艦内を走る羽目になったのであった)
ちなみに §
ひおあきら版で読んでいて、ランチが転覆するシーンはいいシーンだと思いますよ。あそこで、ヤマトに見とれて転覆させるから太助は頼りにならないダメ少年に思えるけれど、本当はかなり勉強しないとヤマトに乗り組めないわけですね。それでも、見とれてしまう部分が、人間らしさであり、太助らしさでしょう。あり得ないミスを連発させるのが若者であり、新人です。
そして、ランチを転覆させた経験が、ヤマトも転覆させてはならないという頼れる要素になって復活編で支えてくれるわけですね。
(考える人で悩む繊細さも持っているしな!)