「突然気づいたのだが」
「はあ。なんだい?」
「海派、山派という区別をしたとき、石津嵐先生はおそらく海派だ」
「なぜ?」
「あの人は朝日ソノラマのヤマトで有名になったが、他の作品は宇宙潜航艇ゼロや宇宙海賊船シャークであり、明らかに海系がメインだからだ」
「なるほど」
「そして、豊田有恒先生も、海派かもしれない。異聞・ミッドウェー海戦などという作品も書いているからね」
「なるほど。海戦とはいかにも海っぽいね」
「と思ったのだが、これは間違っていると気づいた」
「えっ?」
「豊田有恒先生はむしろ山派ではないか」
「というと?」
「いいかい。豊田有恒先生は圧倒的に半島と大陸系の作品が多い。たとえば、代表作のモンゴルの残光からしていかにも大陸系だ。退魔戦記は元寇だから海から来る敵を追い払っているように見えるが、要するに半島経由で大陸に向いた話だ」
「なるほど」
「そもそも、豊田有恒先生のヤマト初期案は西遊記が下敷きになっていると言われるが、実は西遊記も海と関係ない山派の作品だ」
「そうか。川が邪魔になって沙悟浄が出てくる展開はあっても海が出てこないわけか」
「だから、豊田有恒先生は、同じ山派の松本零士先生と相性がいい」
「そうか。松本零士先生もスタージンガーで西遊記のバリエーションをやっているしね」
「うんそうだ。姫のためならご飯を抜いても我慢する」
「なるほど」
「だから、裁判で豊田有恒先生は松本零士先生を弁護する側にまわったらしいが、その展開は不自然ではないわけだ」
「そうか」
「とすると、問題は豊田有恒原案、石津嵐作というあのソノラマの小説宇宙戦艦ヤマトは何だったのか、だな」
「うーむ」
「実は、ここに1つのヒントがある」
「というと?」
「まず、ヤマトの小説の種類は多いが、最も有名なのはおそらく石津嵐版だ。何しろ、ヤマトが無名の時代から既に単行本で出ていたし、しかもソノラマ文庫の最初の1冊だ」
「うん。ヤマトファンなら必ず知っている1冊だろうね」
「文庫になる前の単行本なら2冊だ」
「そうか」
「ところがだね。その後で、さらば以降の小説には手を出していない」
「アニメのノベライズは嫌だったのかな?」
「そうじゃない。今調べてみると、火の鳥2772 愛のコスモゾーンなんていう本も手塚治虫先生と共著とは言え、手がけているらしい」
「ではいったいなんだろう?」
「豊田有恒先生の原案に沿ったヤマトは、石津嵐先生にとってあまり本意ではなかったのかもしれない。やりたかったのは、陸の冒険である西遊記ではなく、海の冒険である宇宙潜航艇ゼロや宇宙海賊船シャークだったのかもしれない」
「なるほど。でも他にヤマトの続編を書くとストーリーが繋がらないという問題もあるのでは?」
「それは理由にならない。なぜなら、ひおあきら版もストーリーが繋がっていないからだ。というか、アニメですら実はストーリーが繋がっていない」
「なるほど」
「ならばむしろ、豊田有恒先生から松本零士先生に至る大陸系ラインがヤマトの企画に大きなウェイトを持って存在していて、海系の冒険をやりたかった勢力と拮抗していた可能性があり得る」
「ふむふむ」
「実は、西崎さんという人は、本人としては海派だが、この2大勢力の間に入って調整に苦労していたのではないか、という気がする」
「ちょ、調整?」
「うん。本来、プロデューサとはそういう役回りだからね。現場のスタッフが作る人なら、プロデューサは調整する人だ」
「でも、裁判ではまるで松本先生の敵の代表だ」
「だからさ。松本先生の立場に立って考えてみなよ」
「するとどうなる?」
「西崎さんは本質的に松本先生の敵ではない……と思う。本人を知らないから何ともいえないけどね」
「うん」
「問題は、認識の差だ」
「というと?」
「いいかい。西崎さんの役目が調整だとすると、あれをやってくれたら、これをやってあげるよ、という言い方になる。全ての言い分は通せないが、これをしてくれれば、これは通せるということになる。しかも、時として相手の仕事に深く入り込んで提案してしまうこともある」
「そうなの?」
「仕事熱心なプロデューサとは、ただのイエスマンではないからだ」
「なるほど」
「だけど、松本先生の立場から見ると、オレの言い分を通さない嫌な奴だ、という風に見える」
「えっ?」
「そりゃそうだ。調整とはそういうものだからだ。自分自身の思いを含め、特定の1人を特権的に扱うことはできないのが調整だ」
「なんと」
「しかし、松本先生は自分の作品、自分の世界に対して特権的に振る舞うことになれていた人だ」
「なるほど。衝突は不可避だ」
「従って、西崎世界観において、松本先生とは見出され、起用された才能の1人であり、なんら特権的な存在ではないことになるが、松本世界観においては特権的な存在として認識される」
「そうか」
「だから、松本世界観で起こされる訴訟において、西崎さんは松本先生の特権を承認しない悪者として糾弾されねばならないが、その主張は通らない」
オマケ §
「ちなみに、漫画のプロはアニメの世界から排斥される、という捉え方をすると典型的だと分かる」
「えっ?」
「大塚康生さんの本にも確かそういう話があったよ。凄い漫画家をたくさん呼んでたくさん絵を描かせればアニメーションができるという発想は上手く行かなかったって」
「なるほど」
「手塚プロもアニメでは成功したとは言い難い。1回潰れてるからね」
「そうか。手塚さんもアニメに深入りして失敗したと解釈できるのか」
「だから、原作者として遠くから見ている時は良いが、監督として現場の奥深くに入ってしまうと妙な問題が起きやすいのかもしれない」
「漫画とアニメ、似て非なる世界ってことだね」
「漫画の枚数を増やして音を付ければアニメになる、というわけではないのだね」