たまたま開いた。「杉並の川と橋」のそのページに「医王寺」という今気になるキーワードが飛び出してきてさあ大変。
「杉並の川と橋」p32より
玉川上水に流れ込む湧水は見られなかったと思うが、この流れの付近にはいくつかの湧き水があった。『文化財シリーズ19 杉並の地名』によると薬師の池(お目玉の池)が医王寺にあった。眼疾に霊験があるというので、毎月十二日には市が開かれ賑やかであった。薬師堂に面した池は日照りでも涸れる事のない池であった。今は一〇坪ほどの池になったが、昔は四〇坪ほどあったと伝えられている。
湧水の存在を入れると、水路網の本来の形状がうすうす見えてきます。
しかし、どうしても上手く場所が噛み合いません。
ところが更にもう1つ。
医王寺より
もとは現在地よりやや南にあったが、明治の初めにいったん廃寺となった。(中略)
平癒祈願のために放流した魚が身代わりに片目になるといわれる薬師池が近くにある。
ははは。なるほど。池は近くにあるわけで、現在地とは一致しないわけですね。
とすれば、それはどこか。ここいらに写真もあるので、現地を歩くと見つかりそう。
余談 §
「杉並の川と橋」p32より
この一体は地下水位が高い所で上高井戸淀橋地下水瀑布線上にあるので、地下数mで湧水が得られる。玉川上水の八幡橋から街道へ出る辺りに中田屋という茶店兼旅寵があったが、甲州街道拡幅工事用の土砂採掘により、大きい穴が出来てそこから水が湧き池が出来ていた(『西郊文化』三号より)。また、吉田甚五郎が託法寺橋近くに小公園を造り、それを竜泉寺の西に移して「吉田園」と命名した。その際、池を造りツツジや花菖蒲の庭園や湧き水を利用してプールなども造った。
そうか。地下水位が高いからプールが成立するのか。なるほど。しかも、湧き水。
この本は凄いなあ。たまたま開いたページだけでこんなに話題があります。