あー、びっくりした。
未だにびっくりすることがあるのですね。
おいらは既に「名劇ロッキーチャック派だ」と明言しています。
しかし、こんなことになるとは。
山ねずみロッキーチャックより
企画 瑞鷹エンタープライズ(西崎 義展(…クレジット表示なし)ほか)
いや、さすがにこれは開いた口がふさがりません。
関係ない確認中に気付かなければ、永遠に気付かなかったでしょう。
ずっともりやすじの動物アニメという認識で終わっていたかもしれません。
ジブリがもりやすじ本を出したこともあります。それを吉祥寺(当時ジブリがあった)まで買いに行ったこともありますよ。
しかし、今にして思えば完全に「宮崎ファン的行動」「もりやすじファン的行動」「ヤマトファン的行動」の全てが同時に満たされる希有な行動であったわけですね。そんなことは思いもしなかったなあ。
ちなみに、作画監督は、
(作画監督・岡迫 宣弘、もりやすじ(森 康二))
って、岡迫宣弘はヤマトの人だ。これほどはっきり、もりやすじと名前が並んでしまうとは。
ちなみに演出は、
富野 喜幸(富野由悠季)→ガンダムやイデオンの監督
斎藤 博→牧場の少女カトリやあひるのクワックの監督
という未来のエース級がごろごろ。
ってか、「カトリファン的行動」まで満たされるな、これは。
だから、むしろアニメブームの原点はロッキーチャックで既に仕込まれていたと考える方がいいのかも。直接参加はしていないが、もりやすじの薫陶を受けた宮崎駿も含めて考えればね。
オマケ §
「ロッキーチャックまで原点を延長できるとすれば、かなり凄いことだぞ」
「というと?」
「だからさ。ロッキーチャック派であったことと、ヤマトファンであることはシームレスにつながるわけだ」
「ロッキーチャック派であることが、単にハイジじゃなくてヤマトを見た理由よりも大きかった、ということだね」
「でもさ。そうなるとますます可能性として、宮崎ヤマトは可能性としてあり得たことになる」
「そうか。西崎さん個人ではないとはいえ、西崎さんの企画でもりやすじが動いたんだ。宮崎駿が動いた可能性もあり得るね」
「それどころか、カルピス名作劇場でヤマトが放送された可能性すら、皆無とは言えないのではないか?」
「企画のムードが変わってしまいそうだけどね」
「宗谷物語のようなノリで、大和物語になったりしてね」
「それは難しいな。大和はずっとトラック島でホテルやってたから。ドラマにならない」
「いやいや。ホテルでもドラマになるぞ」
「ホテル・オスカー・ロメオ・ノベンバー・エコー・タンゴ、聞こえるか? ヤマトを発見せり。至急攻撃を求む」
「意味不明の単語の羅列出た!」
「タンゴだけに単語」
「ちがーう」
「蜂の一刺しで無理矢理エピソード創作」
「宗谷物語も個々のエピソードはかなり創作だそうだから、まあいいけどね」
「ははは、この日のために無理矢理ホーネットに載せておいた陸軍の爆撃機でヤマトを沈めてやる。戦闘空母へ、重爆撃機発進!」
「なんか違う」
「沈めたと思ってうかつに近づいてきた空母に逆襲して撃沈」
「歴史が変わっちゃう」
「じゃあ、ヤマトは海洋調査船という設定で」
「どうするのさ」
「パパと娘とおっさんが乗ってる。ついでに娘がシャチ飼ってる。いかにも名劇にありそうな設定だ」
「それは、ティコだ。ってか、ありそうじゃなくて、もうあるよ」
「娘は素潜り1万メートルの超能力の持ち主で、日本海溝に潜ると乱泥流を見つけてしまう」
「こらこら。日本が沈みそうだぞ」
「日本沈没と言われる日まであと1年。1年しかないのだ」
「なんか違う」
オマケ2 §
「しかし、猿の軍団とは相変わらず接点が見いだせない」
「日本沈没なら猿の軍団と接点があるのにね」
「やはり、猿の軍団は没落しつつあった過去の世代の文化の末裔なんだろうか」
「一方で、ヤマトやハイジが勃興しつつある新しい文化ということだね」
「なのだけど、実はヤマトもハイジもより新しい文化にやられている経緯もある。ヤマトは没落し続け、高畑宮崎も冷や飯を食った時期がある」
「右翼左翼というファッション性にばかり目が行くと水と油のように見えるけど、立場は似ているわけだね」
「だからさ。西崎さんはポニョを意識して、宮崎さんはふっとヤマトみたいなアニメをいちばん上手く作れるのは自分だ的な発言を漏らしてみるぐらい、両者は意識される関係なんだ。でも、ガ○ダムのガ字も出てこないという点で両者は共通している。そういう世代なのだろう」
「それでいいの?」
「いい。おいらも、ガ○ダムはどうでもいいからだ」