「また映画か」
「そう言うな。正月だけだ」
「1/1から1/4までの4日間で3回も映画館か? いい身分だな」
「早くても14日(TOHOシネマズで1000円の日)までは自重するさ」
「それでなぜイナズマイレブン?」
「理由はいくつかあるが、大した意味は無い。結局、直感とイマジネーションってことだ」
感想 §
「それで感想は?」
「微妙だな」
「というと?」
「途中まではいい感じで進むのだが、途中からただのファンムービーになってしまう感じだ」
「説明してくれ」
「テレビシリーズの映画化は、実はテレビを見ている客と見ていない客がいるという致命的な問題がある」
「それで?」
「この問題を解決することは難しい。たとえば、『アキハバラ電脳組 2011年の夏休み』という映画は完全のテレビの後日談として構成されているが、これでは初見の客はつらい。『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』はテレビとは違う話をやったが、これではなまじテレビを見ているとかえって混乱する」
「ふむ」
「その他に、テレビシリーズの第XX話と第YY話の間の話として映画を作る場合もあるが、やはりストーリーに連続性があると初見ではきつい」
「なるほど」
「そこで、この映画だが、歴史改変もの、として構成することで同じストーリーで両者を満足させうる可能性がある」
「どうして?」
「既にテレビでやったストーリーをもう1回行うが、完全に同じではないからだ」
「テレビを知っている客は違いを楽しみ、初見の客は1からの説明を見られるわけだね」
「だから、実はテレビの第1シリーズである日本での優勝争いの話を行うことになり、登場人物も多くない。あの懐かしい雷門中の面々が揃うわけだ。染岡さんも活躍してくれる」
「じゃあ、割といいわけだね」
「しかし、テレビを割と忠実にトレースすることで、途中から無駄に登場人物が増えすぎる。ダイジェストで流れる多くの試合で、山ほどの選手が出てくるがほとんど印象にも残らない。そもそも出す必要があったのかも疑問だ」
「そうか」
「監督の交代とか、市ノ瀬の参加とか、テレビであるからそこにあるだけで、存在意義が不明瞭だ」
「うむむ」
「更に最後の最後で、第2シリーズ、第3シリーズで知り合うはずの仲間が5人も助けに来る。ここまで来ると初見の客には追い切れないぐらいの登場人物数となってしまう。ああ、ちなみに5人に円堂カノンは含まれていない。それを入れると6人だ。ちなみに、木野秋は何の説明もなく円堂に協力して部室の整理を始めるが、音無春奈に至ってはいつの間にかいるという感じであまり意味がない」
「そうか」
「エンディングは第2シリーズ、第3シリーズの関係者がずらりと並んで、初見の客には何がなにやらだろう」
「そこは完全にファンムービーになった感じだね」
「ついでに、未来から来た5人がオーガに対抗できる根拠も別に示されない」
「そうか」
「それどころか、なぜ未来から歴史に介入してくるのかも良く分からない。ヒビキ提督が何者なのかもはっきりしないまま終わる。なぜ監督と同じ名前なのかもはっきりしない」
「うーむ」
「とりあえず、いいところと悪いところを列挙してみようか」
いいところ §
- 音楽
- 豪炎寺が最初に出ていく際に、テレビではなかった偽妹が出てくるところ
- テレビよりも手前の段階からきちんと描いていたところ。(サッカー部をゼロから作り上げるところから描いている)
- 虎丸がかっこよく反撃してくれるところ
- 木戸川清修のドライアングルZが見られた (でもストーリー的には全く無意味)
- キャプテンの格言で最後に締めたこと
悪いところ §
- タイムパラドックスが何も解決されていない
- 時間旅行できるなら、「待たせたね」と言いながら円堂カノンが出てくる必要が無い。待たせる必要が無い
- 登場人物が多すぎて対応しきれない
- ストーリー的にさしたる意味がないシーンが多すぎる
- 敵の動機が今ひとつ分かりにくい
総合的なまとめというか雑感 §
「実は、もう1つ別の感想も持った」
「なに?」
「アニメというジャンルそのものの賞味期限が切れかかっている」
「ははは。赤裸々な感想だね」
「去年、いやもう一昨年はレイトン教授も見たけど、レベル5系のアニメ映画はどうしても超えられない厳しい壁がありそうな気がする」
「そうか」
「でもまあ。最後に、格言で締めたら納得した。納得して劇場を出られたから今回はこれでいい」