「陽子の陽は太陽の陽」
「そんな、どこかのようこそ陽子みたいなことを言ってどうしたんですか」
「いや、朝の連ドラをちらっと見たら同じようなことを言っていた」
「は?」
「まるでようこそ陽子だよ、と思ったが話はそれほど単純では無いと気付いた」
「どういう意味?」
「ヤマトも同じだってことだ」
「えっ?」
「昔のアニメのネタを実写でやる。あしたのジョーも同じような流れだ」
「そうか」
「そういう意味では、宇宙犬作戦だって、昔ならアニメでやっていたノリだし、他にもいろいろあるぞ」
「それって実写がアニメを追いかけているという意味かい?」
「いや。そうじゃない。かつてアニメが自らの領域として確保していた世界を、急速に実写の世界が追いかけてギャップを詰めているところなのだろうと思う」
「実写冬の時代を抜けて、急速に追い上げてキャッチアップ中ってことだね」
「しかし、話はそこで止まらない」
「というと?」
「キャッチアップは単に同じ水準に追いつくことを意味しない」
「それって……」
「実写にはアニメよりも古い長い歴史があり、その蓄積もある。それらも当然継承されてくる」
「それじゃ実写がアニメを踏み越えちゃうじゃないか」
「というか、今まさに踏み越えつつあるのだと思うよ。時代的に」
どうするどうする君ならどうする §
「たとえば、ワンピースという人気アニメがあるが、海賊ものという意味ではゴーカイジャーが追い上げている」
「人気はワンピースの方が高そうだけどね」
「今はな」
「というと?」
「過去のスケールがあるからまだワンピースの優位が動かないが、ゴーカイジャーはワンピースの背後にひたひたと歩み寄っている」
「まるで秩序がひっくり返る前夜みたいじゃないか」
「そうさ。ワンピースがトリコと共演して、まだまだこれからのトリコの宣伝というどうでもいい役目に借り出されている間に、後発組が迫ってきているのだ」
「ウサギは圧倒的に先行しているからといって、寝てる場合じゃないってことだね」
「ドジで間抜けなのろまのカメと馬鹿にしていると、手足を引っ込めて火炎噴射で追い上げてくるぞ」
「火炎噴射って……」
「ガメラは実写側の伝統だからな」
「ははは」
「そこで問題なのは『どうするどうする君ならどうする』ということだ」
「アニメが輝きを失ったとき、僕らはどうするべきかってことだね」
「そうだ。君はどうする?」
「急に言われても分からないよ。まあ別にアニメはただの娯楽だから、無くても死にはしないと思うけど」
「少なくともヤマトファンには、復活編→SPACE BATTLESHIP ヤマトという適応のためのブリッジが提供された幸運がある」
「この場合のブリッジは艦橋じゃなくて橋だね」
「そうだ。第1艦橋でも第2艦橋でも第3艦橋でもない」
「第2艦橋ってあまり存在を認識してない人が多いかもよ」
「島が『林、バラン星との誤差は?』と言ってるのが第2艦橋だ」
「それじゃ分からないよ」
「問題はもう軽シンの時代では無く、『いつ勘違いした実写パートをカットした本物が出るの?』と言える時代じゃ無いってことだ」
「SPACE BATTLESHIP ヤマトから実写パートを全て取ったら無くなっちゃうよね」
「でもまあ、橋を渡るのも渡らないのも本人次第だ」
「じゃ、君は渡るのかい?」
「魔神英雄伝ワタル」
「は?」
「いや、渡る。というか、とっくに渡ってしまった」
「新天地に既に入ったということだね」
「いやそうじゃない。古巣に帰ったんだ」
「古巣か」
「セブン世代をなめるなよ。ゴレンジャー世代をなめるなよ。サンダーバード世代をなめるなよ」
「ははは」
「問題は、1974年のヤマト以後の世代というのは、古巣が実写ではなくアニメかもしれない。その場合は、おいらのように『やあただいま』と特撮に戻るのとは違うハードルの高さがあるかもしれない」
「そうか。きみは、それ以前の世代の尻尾だと言っていたものね」
「これ以後の世代の頭ではない」
「分かった。実写に戻ろうというメッセージは君の世代までってことだ」
「おいらの世代とか、少し上の世代でも分かる奴と分からない奴がいると思うけどな」
「そのあたりはブレがあるってことだね」
オマケ §
「ゴレンジャー世代ってことは、新宿西口の通気口を見上げて『あのサイズの通気口からどうやってバリブルーンが飛び立てるのだろう』って悩んだ世代だね」
「そうだ。だから、ヤマトのサイズであんなに広い第1艦橋ができるはずがないって言われてもオッケーさ」
「無理は承知の世代ってことだね」
「今ではもうあの通気口も無いからとても意味不明の話だと思うけどね」
「でも、面白いね。アニメなら絵的な嘘がつけるけど、実写でも嘘があるってのは」
「映像は嘘をつく。実写であろうとね。それは本来なら前提でしか無い」
「どんな凄いニュースの映像が流れても、それを信じるなってことだね」
「そうだ。当たり前だけどな。どんなに生でカメラを動かしても、フレームの外にあるものは写らない。当たり前だ」
オマケ2 §
「まるで秩序がひっくり返る前夜みたいじゃないか」
「みたいじゃなくて、実際にそうかもしれないよ」
「どうしてあっさりそんなことを言えるんだい?」
「実際に見たからだ」
「どこで?」
「ヤマトは盤石に見えたウルトラ、ライダー、マジンガーを時代遅れにしたよ」
「うっ。そう来るか」
「盛者必衰だ。実際にヤマトだって一時は衰えた」
「そうかもしれないけど」
「それに、そういう事例は歴史の中にいくらでもある。テレビはラジオを一気に時代遅れにしたしね」
オマケIII §
「そういう意味では、東日本大震災も似たようなものだ」
「どうして?」
「これに驚いた人は多いが実は2種類ある」
「2種類?」
「以下の2つだ」
- 想像を絶する災害に驚いた
- このような災害があり得ることは分かっていたが、東北でそれが起きたことに驚いた
「君はどっちなんだい?」
「後者だが、前者の人が実はかなり多い」
「そこにギャップがあるわけだね」
「この世界には驚くほどの悲劇がいくらでもある。世界を見て歴史を見ればそんなのばかりだ。人がゴミのように死ぬ現実は、関東大震災や空襲を振り返れば明らかだ」
「でも、それは身近に感じられること?」
「そうだ。たとえば、新宿から西の景観は関東大震災を機に農村から住宅地に変わった。まるで別物だ。その証拠としての水路網の痕跡が至る所に残る。そして、空襲といえば経堂に1機落ちてる記録がある。徒歩で歩いて行ける範囲だ。久我山には高射砲があり、調布にはB29迎撃に出撃した飛燕の基地があった。今の調布飛行場で、掩体壕がまだ公園内に残っている。現物も見たことがある」
「なるほど」
「悲惨な出来事はこれが最初というわけではない。更に様々な方面に目を向ければ尚更にな」
「地震も津波も前例ありってことだね」
「それ以前に、『水の恐ろしさ』はもっと身近に事例がいくらでもある」
「というと?」
「神田川は毎年溢れていたし、多摩川だって狛江のところで溢れたことがある。川のレベルでさえ家は流されることがあるのに、大津波で何が起きるかなんて想像はできるだろう」
「ははは。完結編の嵐に襲われているディンギルも行きすぎじゃ無いってことだね」
「まあそういうことだ。そういうことを正面から受け止めてきた人は災害の大きさには驚かない。これぐらいは想定内だ」
「対岸の火事では済まされない身近な場所であったことに驚きがあるだけだけね」