「オレもダメだな。こんな情報番組の僅かなヤマト関連の報道なんて見る意味が無かったのに。そもそも現場にいたんだし」
「なぜそれでも見たの?」
「ヤマト饑餓に慣れすぎたからかな」
「ヤマト饑餓?」
「1974年頃、ヤマトに関する情報は驚くほど少なかった。飢えていたんだ。しょうもない1枚の絵があるというだけで、興奮状態だったのだ」
「たかが絵で?」
「絵すらないんだよ。毎週の放送が終わったらあとは記憶で思い出すしかない」
「そうか。当時はアニメ誌も無いし、グッズも少ないわけだね」
「その当時の饑餓感の記憶で、ヤマトの情報を見過ごせない体質になってしまった」
「ありゃりゃ」
結局 §
「結局、NHKも取り上げてくれてヤマトへの支援は手厚い」
「そうだね」
「でもそれにも関わらずヤマトは多くの話題の1つに埋没する。現場レベルでは分かってないんだ」
「えー。それは酷い」
「だからまとまりのない変な番組ができちゃうんだろうな」
「ひでー」
「だからさ。今のオタクは偽装オタクであって、オタクじゃない。しかし、本物のオタクもやはり一種のマニアの偽装でやはりある意味で偽物。じゃあ本物はどこにいるのかっていうと、代々木練兵場で飛ぶ飛行機をワクワク見ていたような世代なんだろう。ヤマト世代はその流れの最後」
「もっと分かりやすく言ってよ」
「だからさ。エースコンバットなんてしょせんは飛べないから遊ぶ代用品。そう思っているうちはまだ健全。でもあれが目標になっちゃうと、仮想のお約束の世界に入り込んで痛い」
オマケ §
「じゃあ、ヤマトも代用品ってことになっちゃうのか?」
「それはイエスでもありノーでもある」
「なぜイエスなの?」
「戦艦大和で大海原を押し渡る……というと角が立つからな。ヤマトとカタカナになる必要がある。でもそれは代用品ってことだ」
「じゃあ、なぜノーなの?」
「古代が直面する物語としては本物なんだ。戦艦大和と宇宙戦艦ヤマトは別物なんだ」
「なんだか良く分からないや。難しいね」
「その難しさがヤマトなんだ」
「ぎゃふん」