「世田谷郷土資料館まで行って、昭和4年の地図の羽根木について設問してきた」
「甲州街道より北に羽根木と書かれている問題だね」
「そうだ」
「結論はなんだい?」
「やはり分からない。ただし、示唆を2つ頂いた」
「その2つとは?」
「関連のある土地あるいは何かの理由があれば羽根木と書かれる可能性がある。世田谷区が成立する以前の話でもあるし」
「もう1つは?」
「都心に近い場所なら明治42年の地図がある」
「ふーん。それで?」
「実は今昔マップ2の1896-1909(1/2万)の地図が明治42年だった(1/20000地形図:中野(明治42年測図大正2年製版))」
「どうだった?」
「大当たり」
「凄いな。和泉と羽根木が併記なのか」
「そうだ。しかし、ここまで来るともう世田谷側よりも杉並側に質問に行った方が良いかもしれない」
関連する土地ってなに? §
「関連する土地ってなんだ?」
「たとえば、他の村の土地を開墾しに行ったとか。他の村の中だけど、別の地名で呼ばれる可能性もあるそうだ」
「でも飛び地ではないんだね?」
「一応、記録にある飛び地ではないような感じだが、それも時期によるかもしれない」
「まだまだ謎は深いわけだね」
ファクトらしいもの §
- 甲州街道北側に羽根木と呼ばれる場所がかつてあった(らしい)
- 明治42年の地図にもあることから、昭和4年の地図のミスとは考えにくい (ただし、改版しても地図のミスが存続する場合もある)
- 世田谷区の飛び地の整理はずっと続いているそうだ。戦後にも行われている。仮に飛び地でも、いつの時点で整理されたのかも分からない (ただし飛び地だという証拠もまだ無い)