「ハッと目から鱗が落ちた」
「それはなんだい?」
「ヤマトそのものが嫌いというヤマトファンは普通いないが、ではヤマトのどの部分を愛好するのかという意見は分かれる」
「第1艦橋がいいか機関室がいいか、とか?」
「そういうことだ。しかし、異様に第1艦橋が大好きという人も見たことが無い。【異様にそれが好き】という表現に当てはまるのはロケット・アンカーだろう」
「もの凄くロケット・アンカー好きな人はいるね」
「では、ロケット・アンカー好きの対極は何だろう?」
「カタパルト派? ノズル派?」
「実は、第3艦橋派ではないかと気づいた」
「確かに、ファンが話題にする回数がもの凄く多いね」
「逸話も多い。【生えてくる第3艦橋】とか」
「確かに、注目度が特に高い。下手をすれば波動エンジンより話題になる」
「そうだ。そこで【第三艦橋派対ロケットアンカー派】という対立構造を設定した。そこで目から鱗が落ちたのだ」
「どうして?」
「ロケットアンカー派の肝は、ロケットアンカーを何に撃ち込むかだ」
「冥王星の衛星に撃つわけだね。ヤマト2199では浮遊大陸にも撃ってるわけだね。方舟では敵艦にまで撃ち込んだ」
「では第三艦橋派ば何を目玉としているのだろうか?」
「なんだろう?」
「どうやって第三艦橋が壊れるかだ。そこに第三艦橋派のポイントはあるような気がする」
「活躍じゃなくて、破壊かい」
「そう。壊れる第三艦橋こそが第三艦橋派の好物」
「そうすると何が分かるんだい?」
「つまりだね。ある程度の画面の説得力ということを考えると、ロケットアンカーを撃ち込めるような便利な岩がヤマトの近くに存在する可能性はほぼ無い」
「どっちを向いても宇宙なんだね」
「そういう意味で、冥王星の衛星に撃ち込む描写も架空の衛星だからぎりぎりOK的なところがあって、実在の衛星に撃ち込むと嘘になってしまう」
「だから何が言いたいんだよ」
「つまりね。本来ロケットアンカー派は画面に説得力を与えにくいという理由により劣勢なのだ。21世紀ヤマトはそのような世界観の上にあった。だから、復活篇には外装が壊れていく第三艦橋という第三艦橋派のご馳走が用意されたが、ロケットアンカー派のための要素は無かった。SBヤマトではメカ的な見せ場は無いものの、安藤の死というドラマ的な見せ場が第三艦橋に用意された。つまり、圧倒的にロケットアンカー派よりも第三艦橋派に優しい作りなのだ」
「でもヤマト2199は違うのだね?」
「そうだ。ヤマト2199では第3艦橋が壊れない。第三艦橋派のための見せ場がない。しかし、ロケットアンカーはやたら出番が多く、最後は方舟で敵艦にまで撃ち込んだ。この差は大きい。ヤマト2199に存在する【物足りなさ】の1つは、明らかに第三艦橋が壊れない点にあるのだが、それはロケットアンカーに見せ場を譲れという明確なメッセージでもあるのだろう」
「メッセージなら何だというのだよ」
「つまり、ヤマト2199とはロケットアンカー派の第三艦橋派への宣戦布告なのだ」
オマケ §
「で、君はどっちなんだ?」
「当然第三艦橋派」
「第三艦橋が壊れる魅力を描かずして何がヤマトか、ということだね」
「当然だ。復活篇でも第三艦橋が壊れていくカットにもの凄く強い印象を受けたからな」
「ヤマト2199は、潜水艦行動で第三艦橋を上に上げたじゃないか」
「あれこそ、第三艦橋の見せ方が分かってない演出。力強く【そうじゃないだろ】と言って良い内容。そもそも第三艦橋以前に潜水艦行動の意味があまりにも違いすぎる。海に潜ってこその潜水艦なのに、浮上することが潜水艦行動っていうのは、本質的におかしい」
「それはもはやロケットアンカー派と第三艦橋派の対立とは関係ないね」
「そうとも言い切れない。結局これは、第三艦橋の魅力を描かないというプロセスに直結するからだ」
「ロケットアンカーに注目を集めさせる方策ってことだね」
オマケ復活篇 §
「復活篇はDC版の出来が良いにも関わらず、劇場公開版をプッシュしてしまう理由はいろいろあるが、やはりあの第三艦橋の外装が壊れていくカットの存在は大きい。あれこそ、第三艦橋派の桃源郷だ」
「壊れていくのに」
「壊すのは描くのが大変なんだよ」