名前はこちらの判断で伏せさせていただきました。
情報をありがとうございます。
川俣様
はじめまして、XXと申します。
ホームページを拝見させていただきました。
突然で申し訳ございませんが、表題の件になります。
本日、自身の父親より聞きました。
父は昭和13年生まれで、戦争当時通っていた現在のさいたま市常盤小学校(当時は国民学校)にて、B-29の搭乗員と思われる捕虜7,8人を見たとのことです。
そのうち1人が女性だったということで、髪の長さから判断したとのことです。
全員後ろ手で縛られており、さらし者にするために学校に連れてこられ、日本人の老人が杖でたたくなどしていたとのことです。
なかなか興味深く、米軍にもB-29の女性搭乗員が公式記録として残っているか調べてみたいものです。
以上、お知らせになります
XX
墜落したB29に女性が乗っていたという話は思った以上に広範囲ですね。
とすれば、それには何か理由があるはずです。
この件は、【妖怪女性搭乗員】と呼んでも良いと思います。
つまり、【実在性はほぼ100%否定されているにも関わらず広範囲に目撃談が残存している】ということです。
可能性は2つあると思います。
- 女性搭乗員ではなく女性便乗者である (搭乗員の情報をいくら漁っても何も出てこない)
- 妖怪と同じく、存在しないものに実際に遭遇してしまう事象の事例である
妖怪女性搭乗員伝承の特徴は軽くネットを検索した範囲内でまとめると以下のようになります。
- 伝承の舞台は日本国内に限定されるようである
- 複数搭乗員のB29のような大型機の場合も、一人乗りのP51のような小型機の場合もある
- 小型機の場合、墜落したケースと、墜落していないが顔が見えて女性だと分かったケースがある
- 大型機の場合、墜落が必須である。その後、搭乗員は生存の場合と死亡の場合がある
- 大型機の場合、女性が乗っていても女性の数は必ず一人である
ここで注目したいのは、最後の項目【大型機の場合、女性が乗っていても女性の数は必ず一人である】という部分です。ここに何かのヒントがあるような気がします。
もしかしたら、何かの物語の祖型(女性が一人含まれる)があり、それが全国に流布されていて、それに沿って各地の墜落B29が解釈されているという可能性もあります。
この件は、後年に記憶が変形している可能性があるので、証言はあまり当てにならず、文献調査で行きたいところです。女性搭乗員がいたという話が掲載された文献の初出はいつでしょうね。終戦前か、昭和20年代か、30年代か。それによって取り組み方が変わってきます。
が、大戦末期から昭和20年代は最も文献調査が難しい時期ですね。悩ましい。
それはさておき §
捕虜をあちこち連れ回して棒で叩く行為は他でも記載されているので、おそらく実際に行われていたのでしょう。市民に対する殺戮は国際法違反であるとして、捕虜扱いではなかった可能性もあります。つまり、特殊な事例ではなく、一般的に行われていた可能性があります。杉並世田谷方面の小学校でも実際に行われた事例はありそうです。