「実は最近【絶叫計画もの】という映画にはまってね」
「それはなんだい?」
「パロディ色の強いコメディホラーを起点にした一連の映画だな」
「それで何が起こったんだい?」
「そもそも【絶叫計画もの】の【絶叫計画】や【計画】は邦題であって、原題は本来様々なんだ。スタッフも様々。起点と言える最終絶叫計画の監督はキーネン・アイヴォリー・ウェイアンズだが、他の作品も彼が監督というわけではない」
「それで?」
「でも、キーネン・アイヴォリー・ウェイアンズというキーワードで検索中に奇妙なことに気付いた」
「何に気付いたんだ?」
「この名前が監督ではなく役者として出てくる映画がいろいろヒットするのだ」
「それは同じ名前の人が二人いるって事かい?」
「そうじゃない。同じ人が役者をやったり監督をやったりする」
「それは矛盾?」
「いや、日本でもそういう人はいる」
「北野武とかも、映画に役者として出演したり、監督をしたりするわけだね」
「そうだな。そういう事例はやはり珍しくはない。多くはないが珍しくはない」
「しかし、その話がどう関係するのだ」
「うん。そこで、目から鱗が落ちた」
「何に気付いたんだ?」
- 名役者が演出家や監督をやれるとは限らない。それらの才覚は役者としての才覚としてはパラレルである。ただ単に双方の才覚を持った人がいる……というだけである
「しかし、それだけならあまり関係ないが」
「実はこれをアニメの世界に持ち込むとこう書き直せる」
- 名アニメーター、デザイナーが演出家や監督をやれるとは限らない。それらの才覚はアニメーター、デザイナーとしての才覚としてはパラレルである。ただ単に双方の才覚を持った人がいる……というだけである
「ふむふむ。それで?」
「良い例が映画『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』だな。あれはとてつもなく凄い手間を掛けたストップモーションの映像だが、実は物語作りの品質も非常に高い。だが、それが両立しているのは、本来パラレルな資質をどちらもきちんと作品に取り込んでいるからだろう」
「単純に映像が凄いから物語も良くなるわけではないのだね」
「より明確に言い直せば、どれほど凄い映像を作ったところで、面白くなるかどうかは別問題」
「それでその話がどう繋がってくるんだい?」
「アニメでも、人気のある名アニメーター、デザイナーが監督をすることは多いのだが、それによって面白くなるかは別問題ってことだ」
「別問題ってことは、面白くなることもあるし、面白くならないこともあるってことだね?」
「そう。これらの問題はパラレルなんだ。だから直接は関係ない」
「つまり、この話は【アニメータのXXさんは超絶的に絵は上手いが監督をやらせてはつまんない作品を作る】という批判が目的かい?」
「いや、逆だよ。それを考えたら白土武さんの名前がスッと浮かんできた」
「アニメーターだけど、監督もやるわけだね」
「そう。ヤマトの諸作品で作画監督を務めているが、宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ちではチーフディレクターの肩書きになっている。マルチな人なのだろう」
「なるほど」
「そうすると、レインボーマンなどを監督した岡迫亘弘さんも同じタイプかもしれない」
「それが、ハニーハニーのすてきな冒険や愛の戦士レインボーマン(アニメ)を見ての感想なんだね?」
「そうだな。新たなる旅立ちが成功した要因はいろいろあるだろうが、白土さんが上手くまとめてバランスを取ったから、という理由ももしかしたらあるのかもしれない」
「そのことに君が感慨を感じる理由はなんだい?」
「やはり、【新たなる旅立ち】だけが突出して納得できる物語だというのが大きい。自分にとってはな」
「その理由は?」
「昔書いたな。2002年頃か。限りなくエスカレートする軍事衝突の空しさ。唯一納得できる結末を付けた『宇宙戦艦ヤマト・新たなる旅立ち』」
「理由はそれだけ?」
「いや。ハニーハニーのすてきな冒険は凄く注目していたアニメなので」