「復活篇の副長大村には唐突感があって、微妙に居心地が悪い」
「どのあたり?」
- 過剰におっさん臭くありすぎる
- 貨物船のクルーだったはずなのに、なぜヤマトの副長になったのかが明確ではない
- 古代が艦橋に入ると存在感が消えてしまう。古代が細かいことにまで指示を出し、副長の出番はほとんどない
- 信濃特攻にのみ突然存在感を出す。が、宇宙戦艦ヤマトをなめるなよ、と言い出すのは唐突感がある (過去にヤマトに乗った実績はない)
「それで君は何に気付いたの?」
「うん。大ヤマト零号のおっさん臭いの副長キャラの影響を被った結果ではないだろうか……と思った」
「ムーア副艦長だね」
「そう。どうも、大ヤマト零号以降の全てのヤマトは、SBヤマトを除いて全てこの副長問題の影響下にあるように思えてきた」
「もともとヤマトに副長はいないわけだね」
「そうだ。おそらく、ヤマトIIIで島と真田が副長になったのが初めてだが、それらとは異質だ」
「その結果何が起こったんだい?」
「大ヤマト零号のムーア副長は、言わば物語を進行させる進行役なのだ。大ヤマト零号の日常は彼を中心に動く。オズマ艦長は重要な場面でしか出てこない」
「それで?」
「ところが、復活篇の古代艦長になるといちいち前に出てきてヤマトを操縦したり波動砲を撃ったりしてしまう。指示も細かい」
「人気の主役だから出番が多いわけだね」
「しかし、その代償として大ヤマト零号的な副長職の存在感は希薄化してしまう」
「特攻でもさせないとバランスが取れないわけだね」
「逆に言えば、特攻という見せ場があるだけ大村はマシだったともいる」
「それはどうして?」
「優秀な艦長キャラがいる場合、副長はどうしても【ボンクラなおっさん】というキャラクター付けをなされてしまう」
「艦長の優秀さを印象づける対比のためだね」
「そうだ。だから、ヤマト2199で副長になった真田は必然的に天才キャラからボンクラキャラに化けてしまった」
「ヤマトIIIはいいのかい?」
「ヤマトIIIの場合、艦長はまだ発展途上の古代進だからね。副長は不完全な艦長を支える有能なキャラになって位置づけが違うのだよ」
「なるほど」
「そういう意味で、ヤマトの副長問題は非常に根深く、そして広範囲だ」
「ヤマトには居場所を見いだしにくいのが副長で、それ故に大村は特攻する必然性があったわけだね」
オマケ §
「大ヤマト零号的に言うと、副長問題の根っ子はどこにあるんだい?」
「そうだな。基本的に艦橋にいないオキ・シンマの代役として物語の進行を担うのが副長。おそらく、オキ・シンマが艦橋に常駐したら副長は要らない」
「それが問題の根本?」
「いや、そうでもない。実はデンゼル艦長補佐官が重要で、オズマ艦長の背後に彼がいるからオズマ艦長は何かがあるまで傍観者でいられる面もある」
「ということは、大ヤマト零号にはあったキャラクター配置のバランスがフォロワー作品では悪くなっている面があるわけだね」
「まあ復活篇の場合、どっちがフォロワーか分からないがね」
「それで?」
「しかし、大ヤマト零号の場合物語的に必要とされるキャラクターが適切に配置されていることを全て説明できるが、それ以外の作品だと適切なのかどうかはっきりしない面が残る」
「復活篇も?」
「そうだな。ただ、復活篇は良く出来た良い映画で、これ以上のものはおそらく作れないだろうと思う」