1つ重要な発見をしたが、話題として小さいのでブログにまとめておく。
そもそも、1977年の劇場版宇宙戦艦ヤマトは、そこまで客が入るとは想定されておらず、西崎義展が当時関係した民音を経由して学会に動員を掛けて客を確保する予定だったとされる。
では、学会に動員を掛けるとは具体的にどういうことか。
そんなことは可能なのか?
可能だったようだ。
より、
東映は鉄道省出身の大川博社長との関係もあって、国労の家族を中心に動員を確保した。以降、東映は1960年代後半に渥美清&瀬川昌治監督『喜劇急行列車』などの「列車シリーズ」を作り、それが松竹に引っ越してフランキー堺&瀬川昌治の「旅行シリーズ」になった。1970年代以降は、学会系の組織的観客動員映画が目立って増えるが、本作は団体動員映画の先駆けとされる。
この記述からすれば動員映画の始祖は【大いなる驀進】と見て良さそうである。
そして、1960年代は国労系がメインであったものの、1970年代以降は学会がメインになっていくことが読み取れる。
とすれば、1977年において学会を動員するスタイルは定番であり、学会を動員できる西崎義展氏が企画する【劇場版宇宙戦艦ヤマト】の企画は、内容と無関係に【小粒だが安全な企画】とされた可能性がある。
もし、この【安全】という要素が無かったら上映できなかった可能性も考えられる。
結果として小粒どころか大ヒット作になったわけだが。誰も予想していなかった結末であろう。
オマケなる驀進 §
動員映画の始祖らしい【大いなる驀進】は20系ブルートレイン【さくら】が東京から長崎まで走る物語であるが、岡山で牽引機がEF58からC62に交代する。C62は、銀河鉄道999の牽引機であるから、少し皮肉である。
オマケはご苦労だった §
ヤマト1977は沖田艦長の【ありがとう】が【ご苦労だった】がわざわざ新録音で差し替えられているのだが、これは学会員を動員するための条件だったと考えると素直に納得できる。
学会とは上下関係が明確な組織であって、教祖に相当する沖田艦長が下々の者にかける言葉は同格の【ありがとう】であってはならないのだ。とすれば、わざわざ予算を取ってスタジオを確保して納谷悟朗を呼んでたった一つの台詞を収録する価値がある。学会を動員できなかったら上映できないからである。
逆に、現在流布されているヤマト1977の音声に【ありがとう】と【ご苦労だった】が混在している理由も、学会を動員する必要がなくなったので、割とどっちでも良くなったからではないかと考えられる。
オマケ §
とすれば、アメリカでセールスしていたとされる海外版宇宙戦艦ヤマトの段階ではまだ【ありがとう】だったらしいので、学会の関与は日本での上映に限定されると推定される。