2005年05月05日
川俣晶の縁側歴史と文化歴史資料館巡りtotal 6463 count

国分寺市・民俗資料室、文化財保存館、文化財資料展示室etc

Written By: 川俣 晶連絡先

 今日は国分寺の方に行ってきました。

 最近、本来の趣旨を取り戻し、都下の歴史資料館巡りに専念するという目標を立ててはいますが、それはけっこう厳しいものです。

 特に、国分寺市については厳しさのレベルが高いと感じていました。

 その理由は、国分寺市の文化財のページを発見し、ここに民俗資料室、文化財保存館、文化財資料展示室という3つの施設が記されていたためです。これを全てまわるとすれば、かなり大変であることが予想されました。少なくとも、半日程度で終わらせて残りの時間で仕事をしよう、などと思うのは無理があると思いました。

 さて、ゴールデンウィークの時間を使って、溜まった多くの残務をこなし、最終日の5月5日の今日になって、やっと1日を取ることができました。

 この1日を使って、国分寺に行ってみようと思いました。

予測は外れた…… §

 しかし、上記の予測は、甘すぎました。

 国分寺に行くことは、冒険と呼ぶに値します。

 なぜなら、平安時代の関東の中心は、政治的中心である府中と宗教的中心である国分寺にあったためです。鎌倉時代には関東の中心は鎌倉に移動し、江戸時代には江戸に移動しますが、それは後の話。

 ちなみに、国分寺の存在感は鎌倉時代まで続くようです。新田義貞が鎌倉を責める途中で焼失したそうです。

 つまりは、関東の中心の一角を成していた場所である以上、見るべきものは多数にのぼります。そして、今日はその全てを見たわけではありません。

国分寺市民俗資料室 §

 まずはJR国分寺駅で下車して国分寺市民俗資料室へ。

国分寺市民俗資料室国分寺市民俗資料室 [300x225] [600x450] [750x562] [1000x750] [1632x1224]

 住宅地の中にありますが、この施設自身も住宅に紛れるようなデザインで埋没感があります。

 この施設の人と少し話をしましたが、訪れる人は少ないそうです。

 展示内容は農機具などが中心です。

 興味深いのは、縄をなうための専用の機械があったこと。このような機械を見るのは初めてです。

 ここでは、親切に地図などの資料ももらいました。

土師縦穴住居跡 §

 その後、再びJR中央線に乗って隣の西国分寺駅に移動。

 史跡通りという道を通って、歩きました。

 そして、土師縦穴住居跡に到着。

土師縦穴住居跡土師縦穴住居跡 [300x225] [600x450] [750x562] [1000x750] [1632x1224]

 案内板のある場所を撮影してみましたが、どこがどう住居跡なのかは良く分かりませんでした。

国分寺楼門 §

 国分寺市文化財保存館を目指して歩いていると、こんなものが見えてきました。

国分寺楼門国分寺楼門 [300x225] [600x450] [750x562] [1000x750] [1632x1224]

万葉植物園 §

 そして、国分寺楼門の背後には、万葉集の植物を集めたという万葉植物園が……。

万葉植物園万葉植物園 [300x225] [600x450] [750x562] [1000x750] [1632x1224]

国分寺市文化財保存館 §

 国分寺市文化財保存館は、なんとこの万葉植物園の中にありました。

国分寺市文化財保存館国分寺市文化財保存館 [300x225] [600x450] [750x562] [1000x750] [1632x1224]

 中には、掘り出された遺物や、巨大な1/200の武蔵国分寺の模型などがありました。規模は小さいものの、これらがもたらす迫力は圧倒的です。

 そして、昔の人は自然と親しんで暮らしていたという考えがいかに浅はかであるかが、この模型が示していますね。緑がない広大な敷地が模型で示されています。

武蔵国分僧寺跡 §

 どうやら、ここが武蔵国分僧寺跡という場所らしいです。

武蔵国分僧寺跡武蔵国分僧寺跡 [300x225] [600x450] [750x562] [1000x750] [1632x1224]

 石があるだけで、ほとんど公園そのものです。

七重塔跡 §

 ここには七重塔が立っていたそうです。

七重塔跡七重塔跡 [300x225] [600x450] [750x562] [1000x750] [1632x1224]

 ここは、何かありげな雰囲気が残ります。

国分寺市文化財資料展示室 §

 さて、やっと本来の3つの目的地のうち、第3の施設に到着。

 学校の建物内にありますが、直接外から入れるようになっています。

国分寺市文化財資料展示室国分寺市文化財資料展示室 [300x225] [600x450] [750x562] [1000x750] [1632x1224]

 ここは土器などが展示してありました。

 また、武蔵国分尼寺跡の発掘についてのビデオもありましたした。5分のダイジェストと18分の長い版がありましたが、迷わず長い方を見てしまいました。これは面白いです。

 すると、自分の目で武蔵国分尼寺跡も見たくなってしまったではありませんか。

 このまま帰る予定を変更。武蔵国分尼寺跡へ。

武蔵国分尼寺跡 §

 いい加減、歩き疲れているのに、武蔵野線の線路の下をくぐって、武蔵国分尼寺跡に到着。

武蔵国分尼寺跡武蔵国分尼寺跡 [300x225] [600x450] [750x562] [1000x750] [1632x1224]

 公園のようになっていますが、国分寺市文化財資料展示室のビデオによる予習のおかげで、何がどのように意義のあるものかが良く分かりました。地面の基礎工事の断面を示す展示などは、なかなか凝っていますね。

伝鎌倉街道 §

 さて、まだまだ見るものは続きます。

 帰ろうと思って駅への最短コースらしき道を歩いていると、これが伝鎌倉街道と呼ばれるかつての鎌倉街道(鎌倉時代の鎌倉に至る街道)であることが分かりました。

伝鎌倉街道伝鎌倉街道 [300x225] [600x450] [750x562] [1000x750] [1632x1224]

伝祥応寺跡 §

 伝鎌倉街道の脇の道を上がっていくと、伝祥応寺跡という場所がありました。

伝祥応寺跡伝祥応寺跡 [300x225] [600x450] [750x562] [1000x750] [1632x1224]

 これは、案内板によれば、武蔵国分尼寺の一部ではなく、鎌倉時代末頃に建てられた寺跡だそうです。といっても、それらしいものは何も見あたらず、公園のように見えます。

冒険はここにあった §

 このあと、やっと西国分寺の駅に戻り、そこから武蔵野線、南武線、京王線と乗り継いで、帰り着きました。

 まさに冒険と言うに値する内容でした。

 歩いた距離もさておき、国分寺市民俗資料室でもらった2枚の地図のうち1枚がまるでデタラメで、記入された箇所にその施設が存在しないことも多数……。はやく気付いて、より正確な別の1枚を見ていれば良かった……。これも含めて、本当に冒険でした。

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