この本を買ったのは、発売されてすぐの2003年08月10日のことです。
それは、本書の入手編に記録されています。
その後、長期間この本が放置されていた理由は明確ではありません。
まあ、非常識な分厚さに気圧されたという面もあるでしょうが。
たぶん、冒頭の2ページぐらいを読み、伯爵と関口の対話がピンと来なかったからでしょう。
しかし、最近になって、コミックスを連続して買って読んだり、放置されていた小説を読み切ったりという作業を通じて「助走」が付き、このような堅物に手を出しても良いかな、という状況が整ってきました。
そして読み始めたところ、序章部分を読み切ると実は面白そうであることに気付きました。それに達する前に放り出していたわけですね。情けない……。
とはいえ、いくら読んでも読み終わらない難物であったことは間違いありません。
こう来るか!という真相 §
5回繰り返された花嫁の殺害の犯人は、途中でだいたい分かりました。
あの人しかいませんね?
あの人は、瑕を持っています。
そして、確かにあの人でした。
しかし、読み進んでいる途中では、ずいぶんと揺れ動きました。あまりにも、あの人に不利な描写が多すぎたり、他の可能性が示唆されたり……。
それにも関わらず、やはりあの人であったことが、むしろ意外に思えました。
面白いですね。
タイムリーな儒教小説 §
実は最近になって、再び儒教について考えています。
それゆえに、儒教を扱った小説を読むのは面白い体験でした。
儒教について考えるというのは、日本はこれからアメリカと組んでいる方が有利か、それともアジアの一員として中国や韓国と組んでいく方が有利かということを考えているときに、たどり着いた問題です。
一般的には、日本はアジアの一員として中国や韓国と仲良くすべきであるという主張が正しいとされているようですが。本当にそうなのだろうか、という疑問を感じ始めたということです。
この3国は、いずれも儒教の影響が強く、その点では相性が良いよいにも思えますが、実際にはそうではありません。日本の儒教は、大幅に加工され、本来の儒教とは隔絶した別のものになっています。元祖が同じであることが、仲良しになることを保証しないどころか、激しい断絶と抗争を導くのは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の関係を見れば明らかです。
つまり、日本と中韓の関係が永遠に上手く噛み合わない理由は、実は中東が永遠に紛争の火種を抱えた地域であることと同じような理由ではないかと。
であるならば、日中韓を含むアジア共同体などというものは、イスラエルとイスラム諸国を含む統合された中東共同体と同程度に、成立しがたい夢想の世界という可能性が考えられます。
一方、日本とアメリカは相性が良いと言えます。どちらも、文化的な辺境に位置する野蛮な新興国家であり、詳細は略しますが、いくつもの共通する特徴を持ちます。
つまり、日本はアメリカと手を組んでいく方がずっと上手く行くために、たとえアメリカが日本から手を引きたがっているとしても、何か理由を付けて関係を維持することに価値があるのではないか……。
というようなことを考えていますが、正しいかどうかは知りません。
むしろ、間違っていると思って読むのが正しい態度でしょう。
何せ、私も京極堂同様「嘘吐き」ですから (笑。(本書730ページ参照)