テメ・ユ・アチルカは異国の姫。
とても美しい姫。
人々を魅了する異国の香り。
テメ・ユ・アチルカというその名は高貴さを示す。
彼女の国では人々は名前で立場を示す。
平民は姓を名乗れない。
たった1つの名前しか持てない。
支配者階級は姓を持てる。
姓は特権階級の印。
しかし、ミドルネームは持つことが許されない。
それが許されるのは、高貴な血筋だけ。
ミドルネームを持つテメ・ユ・アチルカという名前は、国家の最上層階級の証。
それだけではない。
アチルカはまさに王家の血筋を示す姓。
テメは彼女の国の美の女神の名前。
そして、ユは、高純度の王家の血筋を受け継いだ純血種であることを示す最上級のミドルネーム。
儀式に置いては、王すらひれ伏す高い格式。
それは迷信などではない。
黒い肌の多い彼女の国で、透き通るように白い肌は高純度の血筋の証だと。
誰もが信じていた。
血筋を敬う者も、それを忌むべきものと信じて民主化運動に立ち上がった者も。
民主化運動は、瞬く間に広まった。
それは、某大国の裏からの支援のためとも言われるし、王があまりに無能だったからだとも言われる。
たぶん、両方とも真実なのだろう。
王国側は反乱軍に対して、あまりに劣勢であった。
全てを守ることは不可能だと早期に彼らは悟った。
彼らは考えた。
限られた戦力で守るべきものは何かと。
王宮?
いや、それはダメだ。いくら蛮族との戦闘を意識しているとはいえ、300年前に作られた建築物など、近代兵器の前では砂上の楼閣だ。
王と王妃を安全な場所に逃がすか?
いや、それもダメだ。国家を売った無能王を生きて逃がすために死ねと命令されたら、兵士の少なくない人数は反乱軍に寝返るだろう。
では、たとえ王国が無くなったとて、その素晴らしさの証拠を残す方法は無いのだろうか?
そこで選ばれたのがテメ・ユ・アチルカだった。
彼女の美しさこそ、王国の栄光の生きた証。
彼女さえ国外に逃がして生き延びれば、それは彼らの存在が無意味ではなかった証明になる。
王国軍は、僅かな戦力の全てを結集し、テメ・ユ・アチルカを国外に逃亡させた。
それを知った王は怒り狂った。自分を助けず、テメ・ユ・アチルカだけを助けるなど、反乱行為そのものに思えたのだ。
王は激情に任せて王国軍幹部の罷免状を書いたが、結局それは王国の崩壊を早めただけだった。
そうしてテメ・ユ・アチルカは僕らの国に来た。
彼女が僕らのアイドル、素敵な異国のプリンセスになったのはそれから間もなくのことだった。
僕らの国の政府も国賓待遇で彼女を受け入れた。
だが、良いことは続かなかった。
彼女の国に成立した民主政府を承認し、国交を結ぶ段階になって、彼女の存在はむしろ邪魔になったのだ。
何回も交渉が持たれ、その結果妥協が成立した。
テメ・ユ・アチルカを本国に返還させ、王族して処刑するという要求は永遠に保留する。その代わり、国賓待遇でもてなすのはやめて、ただの居住外国人として扱う……。
その後、すぐにテメ・ユ・アチルカの姿はマスコミから消えた。
僕らはどうしたのかと噂した。
生活費を稼ぐために、身体を売っているという噂も聞こえた。
ああ、彼女はどこに行ってしまったのだろう。
彼女が本当に行方不明だという噂が、しばらくして流れた。
ある日、突然消え去ったのだ。
数年後に、テメ・ユ・アチルカの真相を暴くという暴露本が出版された。
それによると、テメ・ユ・アチルカとは特殊メークによって生み出された架空の人物だというのだ。
テメ・ユ・アチルカと側近一行と呼ばれていたのは、特殊メークチームに過ぎず、国賓待遇が切られた後はこの国に滞在する意味もないので、そのまま本国に帰ってしまったというのだ。
だがそれは本当だろうか。
実は、街で夕食の買い物をしているちょっと異国風の顔立ちの太ったおばちゃんが、実はテメ・ユ・アチルカなのではないだろうか。
ハッとするほど色白で可愛い幼い娘を連れていたりすると、そんな思いを抱くこともある僕らだった。
(遠野秋彦・作 ©2006 TOHNO, Akihiko)
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