強引に時間を作って、エイヤッと時をかける少女を見てきました。
劇場にて §
テアトル新宿に行きました。
水曜日なので1000円という事情があるにせよ、12:25~の回で満席だったのは見事。
しかも、スタッフロールになっても誰も立ちません。
帰り際の観客の反応は、バカにしているとか、熱く語っているというのではなく、映画を重く受け止めて納得した……というムードに感じられました。
ちなみに、若い番号の整理番号をもらっていたのに、うっかり後から行ったので、何と最前列の右から2番目という席で見ることに……。限りなく最悪に近いポジションですが、映画が始まったらほどんと気になりませんでした。さすが、良い映画は違う……。
総合的な評価 §
非常に良い映画だと思います。
面白いし、爽快です。
それでいて、人や社会をなめていません。
ただ、これが細田守監督の能力全開の映画かというと、まだ全開ではないという気がします。もっと予算と時間があれば、練り込む余地はあったと感じます。
少年ドラマシリーズ版、大林版との対比で §
本来「時をかける少女」というのは、都会的な作品であったはずです。
そういう意味で、少年ドラマシリーズ版のムードこそが本来あるべき姿であって、尾道の美しい風景をバックに描いた大林版は、致命的に「時をかける少女」らしくない……という印象があって、イマイチ好きではありません。というか、あれは「時をかける少女」の映画ではなく、尾道三部作の1つとして作られた大林映画であると見るのが正しいような気がします。
では、細田版の「時をかける少女」はどうかというと……、都会的ではあるものの、漠然とイメージの食い違いがあるような気がしました。たぶん、何となく私が東京西部をイメージしていたのに対して、この映画が東京東部を舞台にしているからかもしれません。
とはいえ、イメージの差はほとんど問題ではありません。
念のために言えば、私は唐突に「トカリベツ」とか、「インド人のラジオ」(続の方のネタだが)とか、そういった単語を口走る人なのだ (笑)。小説の方も、少年ドラマシリーズの原作になったようなジュヴナイル系作品はかなり読んだし。
今時のオタクへの反逆 §
今時のオタクが、こぞって賛意を示している(かのように感じられる)この映画ですが、内容的には今時のオタクが好むであろうお約束をことごとく裏切っているように感じられます。複数の美少女をカタログのように並べることもしていないし、主人公の声はアイドル声優ではありません。夏場が舞台なのにスクール水着も出ません。今時の流行のセカイ系でもありません。
たぶん、最も分かりやすいのが、最近非常に流行っている「涼宮ハルヒの憂鬱」との対比でしょう。詳細は略しますが、小説「涼宮ハルヒの憂鬱」を読んだ感想からすれば、この作品の持つ際だった特徴に、ことごとく反するような内容になっているように感じられます。
それにも関わらず、この映画がオタクからの圧倒的支持を得たことは、非常に興味深い出来事だと感じています。
余談を付け加えるなら。この映画は、私が前々から思っている「ヒロインは、スタッフが本気で魅力あると確信している一人だけで良い。むしろ一人の方が良い!」「ストーリーは、スタッフが全力で語りきれるなら、ストレートなものでよい」という私の持論を体現しているようにも思います。そう、それで十分に面白いはずなのです。
耳をすませば+α §
ムードは、近藤喜文監督の作品「耳をすませば」に近いものがあると感じました。純粋な若者の恋愛であるとか、残酷な挫折に打ちのめされる展開であるとか。
ただし、「耳をすませば」は主人公が超えがたい壁にぶつかって自分の限界を悟って終わるわけですが、この映画は主人公が逆襲して勝利します。その+αの部分があるために、作品の持ち味は決定的に違っているように思います。
ちなみに、「耳をすませば」は多摩丘陵で東京西部。この映画はそれと逆行するように東京東部を舞台にしているのが面白いですね。
80日間世界一周的どんでん返し §
もうゼロだと思ったのに、ちょっとした思い込みのトリックから1つだけ残っていた……というのは、80日間世界一周を思い出させます。(「長靴をはいた猫 80日間世界一周」ではない……念のため。長猫版には数字のトリックはない)
細田監督が意識したかどうかは分かりませんが、あの思いがけない大逆転の快感と同様のものが再び得られたのは実に面白いですね。
京成電車と国立博物館 §
出てくる電車は京成。
川はおそらく荒川か隅田川。川沿いのシーンで対岸に見える高速道路は向島出入口だとすれば隅田川。
とすれば、主人公が住んでいるのは、千住付近。
おばさんが勤務しているのは上野の国立博物館。
この2つの場所は京成電車にのってすぐ近くです。
気楽に主人公がおばさんに相談に行くことができる交通の便の良さです。
ちなみに、向島出入口だとすると、作画監督の石浜真史さんがキャラクターデザインを行ったR.O.D. -THE TV-に出てくる「菫川ねねね」先生のマンション「推定」所在地のやや上流ということになります。
アスベルが、アシタカが…… §
いちばん酷い目にあった高瀬君の声は松田洋治、つまりジブリ映画でアスベルやアシタカのような美形少年の声をやっていた人です。このキャスティングは、細田監督のジブリへの屈折した思いの表出?
テーマと理屈 §
この映画を、テーマや理屈でどうこういう映画ではない……という評を比較的よく見るような気がします。(気がするだけかも)
しかし、これほど明瞭に一貫したテーマで貫かれた映画もなかなかないし、全体として理屈の塊だと感じました。たぶん、無駄なシーン、無駄な描写はほとんどありません。それぐらい、完璧に理屈で構築された映画だと思います。
ここで重要なことは、テーマや理屈は、言葉で語るものではない……ということです。映画は、観客が見て感じれば良いのです。言葉で語るのは、映画としては敗北です。つまり、観客がテーマや理屈を「語ることができる言葉」として受け取っていないにも関わらず、映画をきちんと受け止めたとすれば、これは映画としては完全なる勝利です。
結論 §
国立博物館の学芸員として絵を修復しているおばさん。
あれはイイ!
ああいう人生は、なかなか得難い1つの理想ですね。