以下のDVDに出てくる芹沢政一さんの描いた昭和25年当時の下高井戸駅の絵によって、京王線と世田谷線を接続する線路の位置が分かりました。
しかし、それだけでなく、実は京王線の上りホームと下りホームの位置が食い違っている理由も推測可能であることに気付きました。
京王線下高井戸駅ホーム §
京王線下高井戸駅ホームは、上りホームと下りホームの位置が食い違っています。上りホームの方が、八王子側にずれているのです。(ずれる量は時期によっても変わる)
しかし、上記の絵を見ると、上りホームと下りホームの位置はずれていません。
常識的に考えて、駅を作る際にわざとずらして作ったとは考えにくく、後からの経緯でずれたと考える方が妥当に思えます。
では、なぜずれたのでしょうか?
以下のような仮説を考えてみました。
仮説・下高井戸駅ホーム史 §
京王線(京王電気軌道)は当初路面電車に毛の生えたような路線でした。実際、路面を走っていた区間もあります。
そして、世田谷線(玉川電気鉄道)側も、やはり路面電車に近い存在でした。
つまり、どちらの路線も、路面電車らしい比較的低いホームを使っていたのだろうと思うわけです。その結果として、京王線の下りホームと世田谷線のホームは同じ程度の高さになり、連続して共用できることになります。つながっている方が乗り換えにも便利ですしね。
しかし、戦後になって京王線は路面電車から脱却して高速通勤私鉄へと脱皮を行います。路面の併用区間は廃止され、電圧は600Vから1500Vに昇圧され、流行の湘南型の顔をした電車が颯爽と走るようになります。当然、ホームの高さも高くなったのでしょう。
さてここで問題になるのは、下高井戸駅下りホームです。世田谷線との関係上、うかつに高さは上げられません。そこで、京王線の下りホームは、世田谷線との共用部分を避けて新宿側にずらして建設された……と考えることが出来ます。
つまり、この瞬間に、下高井戸駅の上りと下りのホームは位置がずれてしまったわけです。
仮説・連絡線の土地はホームに使われた §
しかし、そうそう都合良く新宿側にずらした位置にホームを造れる土地があったのでしょうか?
実はあったのです。
それは、京王線と世田谷線を連絡する線路の土地です。
この線路を撤去して、そこのホームを造れば、すぐに高いホームを用意できます。
ちなみに、上記の絵を見ると、連絡線は世田谷線の本線が上り下りに分岐するポイントの手前(単線部分)で分岐し、現在の下高井戸シネマのある位置よりもずっと手前で京王線の下り線路に合流しています。紛れもなく、この位置は現在の下りホームの位置そのものに見えます。(現在はずっと先まで延長されているにせよ)
仮説の検証には…… §
上記の仮説を検証するには、当時のより詳細な地図があれば良いことになります。
住所的には世田谷区になるので、世田谷区立郷土資料館に行ったときに図書室で探してみるべきかな……。