図書館で淀橋浄水場史を閲覧しました。
これは実に素晴らしい本です。
淀橋という立地の理由から、鉄道の引き込み線まで、詳しく疑問に答えてくれます。
しかも、東京生命球場らしい球場を含む全景写真まで。
そのうちに古書で欲しいと思いました。いや本当に。そして、最初から最後まで読み切ってみたいと思いました。
淀橋に浄水場を作る理由 §
外国人が立てた計画では、浄水場の本来の予定地は甲州街道の南側、山手線の西側でした。しかし、実際には甲州街道の北側に作られたわけです。これは日本人の中島鋭治氏が変更を提案して実現したものです。
初期案は既存の玉川上水を最後まで活用する計画です。
それに対して、淀橋案は代田橋付近から新しい水路を造る計画です。
新規建設水路の分だけ淀橋案が高く付きそうですが、実は別の意味で「高い」ことが決め手になるのです。つまり、旧玉川上水は笹塚のあたりで大きく南にまわっているのに対して新水路はまっすぐなので、15尺高い水面位置を確保したまま浄水場に到達できるわけです。水面が高ければ、そこからの送水に要するエネルギーも少なくて済み、制御も簡単。いいことばかりです。更に、地形的にも淀橋の方が適していたと言うし、人が多く住む地域も通らないで済むといいます。この時点で、旧水路は人が多く済む地域を突っ切っていたわけですね。
このことは、実は玉川上水建設時と比較して、この時点では土木工事技術が大きく進歩していたことを示唆します。
アバウトなまとめ §
以下の条件を全て満たす場所を探したら現在の新宿新都心の位置だった、ということですね。
- 玉川上水をできるだけ活用する
- 消費地から遠すぎない
- 人があまり住んでいない
- できるだけ高い水面高を確保できる
十二社であるとか、旧宿場町としての新宿の存在はあまり考えられていないようです。決め手は「高さ」という物理的な絶対量のようです。
余談・東京生命球場 §
「淀橋浄水場史」の扉にある何枚もの写真の中に、東京生命球場らしい野球場も見えるものがあります。同じ写真には、浄水場、小田急百貨店(現HALC)、京王百貨店が写っていますが、小田急百貨店の新しい方のビルは影も形も見えません。それゆえに、時期的には1964~1965年頃の写真と思われますが、この時点で確かに球場らしい施設が浄水場西部、十二社に見えます。