「実は作品構造的な心理表現としての必然性があった!? 「ネギま!」でパンツが見えて服が脱げる理由!!」の続きです。
「パンチラ=心の本音のチラ見え」説の事例検証です。
更に14巻を調べていくと、非常に興味深い描写が見えてきます。
127~128時間目は、夕映はネギが好きであるという本心が暴露されてしまうという、まさに「本音が見える」エピソードです。
しかし、夕映のパンチラはありません。
「脱げ」もありません。
きわどさのないズボン ファッションなので、どれほど頑張ってもパンチラはあり得ないとも言えます。
ところが、服がめくれ上がって中が見えるという描写はしっかりと見られるのです。
127時間目、装甲防火壁が閉じた次のページ、ハルナに呼び止められる夕映は、上着の後ろの裾が舞い上がっていて、下のズボンが奥まで見えます。通常見えない奥まで見えます。127時間目の最後のコマは、ハルナに本心を告白した後で飛び降りる夕映ですが、今度は前から上着の下のズボンが奥まで見えます。これは、他キャラの「パンチラ」と質的に同等の「心理描写」と考えられます。
そして、128時間目、ワイヤーの金具が壊れて落下する夕映の上着は大きく開き、上着の内側を全てさらけ出します。これは、他キャラの「脱げ」と質的に同等の「心理描写」と考えられます。
このことは、「心理描写」としての「パンチラ」「脱げ」の存在意義はあくまで「心理描写」であるために、「パンチラ」「脱げ」ではなく等価の別の表現であっても構わないことを示唆します。つまり、見えないはずのものが見えてしまうビジュアル的な衝撃こそが、可視化された「心理描写」だということです。
まだ終わらない・パンツを見せるハルナと見せないのどか §
このあと、夕映の安全を確認したハルナはパンツを見せて夕映を蹴ります。
本心から心配していたのだという本音を見せたと解釈できます。
しかし、のどかはパンツを見せません。
個人的にネギま!のパンチラ担当とまで思っている、あの本屋ちゃんがパンツを見せないのです。もちろん、ズボンだから見えないという話ではありません。特に、のどかが夕映を叩くコマでは、のどかのスカートの後ろが上がっていて、パンツが見えてもおかしくない構図です。それにも関わらず、パンツは描かれていないのです。
これは、のどかは本音を見せていない、と解釈できます。事実として、のどかはこのあと嫉妬心を持つことを告白しています。自覚したのは学園祭後ですが、それ以前にも感情は小さくくすぶっていたのでしょう。
感想 §
ネギま!にこういう読み方があったとは。
予想以上に面白いぞ!