「実は作品構造的な心理表現としての必然性があった!? 「ネギま!」でパンツが見えて服が脱げる理由!!」の続きです。
「パンチラ=心の本音のチラ見え」説の事例検証です。
といっても、意図して実行したものではありません。
トイレに行って戻ってくる時に、テーブルの上に積んであったネギまコミックス11巻を開いたところ、いきなり開いたページに事例があって焦ったという話です。
11巻91時間目では、千雨が学園祭のコスプレコンテストに出場します。そこで、モノローグで自分の心の屈折を全て吐き出した上で、ネギに対して恥ずかしがりながら礼を言います。つまり、かなり本格的に本音をさらけ出します。
問題はその直後です。
ネギと小太郎が謎の糸を引くと、あら不思議、千雨の服がバラバラに。盛大に下着姿を晒す千雨……。
つまり、「本音を見せる=脱げる」という構造が明確に見て取れます。
更に言えば、このシチュエーションで脱げるシナリオ的必然性は何もありません。それなのに脱げるのです。
14巻の亜子 §
もう1つ、何気なく気付いた話題を。
14巻の亜子の出番は多く、しかも着替えシーンや、かなり角度によってきわどいステージ衣装のスカートなどがあるにも関わらず、明確にパンツが見えるシーンは1つもありません。どう見ても、パンツが見えても不思議ではないシチュエーションでも見えません。唯一、ステージ上のナギに対する告白の直前あたりで、かすかに「見えるか?」というコマを1つ見つけられただけです。
しかし、本音を晒すことができず、最後の最後で直前まで行きながら結局本音を出すことができなかった……という亜子の心情がパンチラと連動しているとすれば、まさにパンツが見えないことが、「告白できなかった=本音を晒すことができなかった」亜子の心情と完全に連動しています。