今日は、下高井戸周辺水路&跡カタログで使う写真撮影のために、神田川と環状七号線の交点まで神田川沿いを歩いていきました。この経路を歩く際に問題になるのは、やはり川沿いを歩けない和泉4丁目の工事中の区間です。ちなみに、水路の上に蓋をして水が見えない区間を暗渠と呼ぶなら、現在のこの区間は暗渠状態と言えます。
場所は以下の部分です。
以下はA点を西から見た光景です。
さて、今回歩いていて工事内容の説明板を見て、やっと工事の趣旨が分かりました。つまり、川底をもっと深くする工事をやっているわけです。その理由は、おそらく洪水対策でしょう。神田川は大雨になると溢れやすいのです。そのため、川をより深くし、より直線的にし、素早く大量に水を海に流すような構造に改修されてきたのです。もちろん、環状七号線地下の貯水池もその対策のうちです。
洪水のジレンマ §
さて、実はこの話題は最近気になっている話と関連します。
下高井戸周辺は、もともと農業(特に水田)をやっていた土地です。それが、関東大震災以後、徐々に宅地化が進み、現在は完全に住宅地に変貌しました。
従来の一般的な解釈から行くと、以下のような流れで「農地→住宅地」という流れが発生したことになると思います。
- 都心部の発達
- 都心と郊外をつなぐ電車の敷設 (京王電気軌道=京王電鉄)
- 関東大震災による郊外への住居の移転ブーム
- 郊外の家から都心の職場に電車で通うライフスタイルの確立
- 住宅需要の急増から、農地が減る
- 住宅が増えると生活排水で水が汚れ、農業に適さなくなる
- ますます農地が減る
しかし、この解釈は正しいのだろうか、という疑問を抱きました。
それにも関わらず農業を続けようという者がいてもおかしくないのではないでしょうか。
ところが、仮にそのような者達がいたとしても、彼らの意図を打ち砕く事態があったと気付きました。それは以下のような状況です。
- 下高井戸は、神田川と玉川上水下高井戸分水の豊富な水によって農業を盛んに行ってきた土地と考えられる
- 1965年、玉川上水の水は小平監視所から先には流れなくなり、下高井戸分水の水供給は絶たれた
- 昭和30年~40年代(詳細未確認)には、神田川の改修工事が行われ、神田川はより深くよりまっすぐな川に作り替えられた。平常時の水面の位置は大幅に低くなったことが考えられる。この水面の高さから、周囲の水田に水を引き込むことはおそらく困難
玉川上水の水は、本来水道用の上水ですから、新しい施設に水を流すのはある意味でやむを得ません。しかし、神田川は事情が違います。これはあくまで水害対策としての工事が行われたと考えられます。
つまり、「水害対策」と「農業の存続」は対立する概念であり、神田川は「水害対策」を選んだことになります。
この時点で、少なくとも下高井戸の水田は存続する可能性を全否定されたのではないかと考えます。
ちなみに、物流手段としての神田川の存在意義も実質的にここで否定された可能性がありますが、その方面は全く不勉強で何とも言えません。
感想 §
更に神田川が深く掘り下げられれば、水はひたすら遠くなり、水に親しむ機会は更に遠ざかります。予算不足で水を流せない(?)「水が流れる公園」では埋め合わせになりません。とはいえ、妙案も無し。