「隠された秘密・過剰に歩道が豪華な日本大櫻丘高南部の道!?」の写真を撮影しに行ったとき、ふと振り返ると日大櫻丘高の新しい建物が見えました。かつてはプールのあった場所です。そこで「もしや、水路跡とプールには何か相関関係が……」と思った瞬間にひらめきました。水路跡とプールが隣接している事例はいくつもあるぞ! それは、どこが水路跡か把握できる今だから分かることだ!!
以下、水路跡は黄色のライン、プールの位置は青い四角で塗りつぶして表記しています。
日大櫻丘高と緑丘中学校 §
最初に気付いた契機はこれです。敷地の中で、プールは水路跡に寄り添うような位置関係に作られています。よく見れば西側の緑丘中学校でも同じ構造が見て取れます。
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高井戸第三小学校 §
少なくとも昭和40年代にプールがあった位置は、玉川上水から道路を1本隔てた間近でした。
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向陽中学校と東電グラウンド §
一見、神田川から最も遠い位置にプールを設置していて、水路に縁遠いように見えますが、神田川支流の流路を当てはめれば一目瞭然。
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和泉小学校と和泉中学校 §
以前の私なら解釈できなかったのがこれ。神田川から遠い位置にプールを設置しているように見えますが、実際には支流に近い位置に造られています。
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考察と感想 §
「大きな地図で見る」をクリックすると他にもいくつかの事例を見られます。(2009/01/01追記。他の事例はプールの脇には水路跡!? 多数の事例がそれを物語る!! 【PART-2】にまとめました。こちらを見ると素早く把握できます)
さて、水路跡に隣接していなくても、水路に比較的近いロケーションの学校も多く見られます。もしかしたら、学校の場所を決定する要因としてプール絡みで水路との関係が意味を持っていた? そう考えると、地域における学校のロケーション決定の歴史にも別の解釈ができるようになる?
ちなみに、水路周辺は良好な農地であり、最後まで広大な土地が残っていた関係上、学校やグラウンドになりやすいという傾向はあります。しかし、敷地内でのプールの位置決定とは直接関係のない話です。プールが高い確率で水路寄りというのは、何か意味があるのでしょうか?