「上北沢の気になる空き地等」の続きです。
上記リンク先で示した地図上の「青線」は「全住宅案内地図帳 杉並区版 昭和44年度版」の以下に相当します。
ここでは松原分場脇水路(仮称)と呼ぶことにします。
この位置の水路は、おそらく『甲州道中「高井戸宿」』(杉並区教育委員会)の『下高井戸宿復元鳥瞰図(江戸後期)』の以下の水路に相当するものだと思います。
これまでずっと、この鳥瞰図のこの水路の解釈を巡って悩んでいました。しかし、ようやく具体的な場所を特定して古地図を前提に「ここ」と言える段階に達してホッとしました。(厳密に当時と同じ位置かは明確ではないが)
下高井戸分水との類似性という問題 §
鳥瞰図を見ると、松原分場脇水路(仮称)はここで玉川上水に接続していないことが分かります。実は以下のように解釈すると、構造が下高井戸分水とよく似ています。
- 上流部より取水してしばらく上水と平行した水路を進む
- 途中で向きを変え、玉川上水より離脱する
- 田畑を潤した後、既存の天然河川に接続する
とすれば、実は松原分場脇水路(仮称)と下高井戸分水は同じ者達によって同じ設計思想によって作られた可能性はあり得るでしょうか?
これが是だとすると、実は松原分場脇水路(仮称)と下高井戸分水で分からないことは、相互に他方の状況を参照して解釈できる可能性があることを示します。
新たに浮上する諸問題 §
- 松原分場脇水路(仮称)は標高の高い場所を流れており、自然の河川とは考えられない。水源は人工水路である玉川上水以外には想定できないが、どの取水口からどう取水したのだろうか?
- 万治元年(1658)北沢用水最初の取入口だろうか? 違うのだろうか?
- 昭和44年住宅地図では、甲州街道南側の水路はほとんど残存していない。暗渠として存在したのだろうか? その場合はどの経路からどこに流れたのだろうか? 暗渠もないとしたら、この水路の水はどこに流れたのだろうか? そもそも、流れる水はあったのだろうか?
- 松原分場脇水路(仮称)の北端はトンネルに入って終わるがその先を延長すると倉庫の下に入ってしまい、まっすぐ玉川上水に接続したとは考えにくい。倉庫南側の道路の下を暗渠として流れていたのだろうか?
- 現在、このあたりの甲州街道の歩道脇には、普通と少し違う形のコンクリート蓋が付いた排水路がある。それとは何か関係があるのだろうか?
感想 §
ちなみに、松原分場はもうありませんが、施設はまだ残っています。
松原分場脇水路(仮称)の地図上の上端部分あたりには、現在不自然な空き地が残っています。何か意味があるだろう……と思っていましたが、やはり意味があったようです。