地域の「分断」は以下の理由により発生します。
下高井戸(地理的範囲)は主に首都高4号と甲州街道(国道20号)、京王線、神田川の支流、玉川上水/跡により分断されています。
さて、昔はもちろん違います。首都高4号ができる前の甲州街道は強引に横断することが容易にでき、実際にやる人も多くいました。
しかし、今はもう困難です。
最寄りラーメン屋も甲州街道の向こうはカウント外になるぐらい縁遠くなりました。
玉川上水第三公園(玉川上水)もよく考えると分断対象かもしれません。どこからでも出入りできるわけではないので。
うちはあまり意識していませんが、それは橋/跡が近いからでしかありません。
しかしもう1つあった §
桜上水Confidentialさんhttp://plaza.rakuten.co.jp/sj2006/diary/200911160003/より
かつての本店、今の昭和信用金庫下高井戸支店の場所は、
今は駅裏であるが、京王線ホームが延伸され、今の地下道通路付近にあった踏切が廃止されるまでは、この場所も駅前であり、駅裏ということではなかったと考えられる。
その通りだと思います。
しかし、この記事はねじれています。
そのことは、以下のように示されています。
もとより、下高井戸駅は、上北沢、赤堤、松原三村の中間に位置し、下高井戸という駅名ではあるけれど、松沢村の中心地であり、村役場のほか郵便局も置かれたようだ。
つまり「下高井戸」は「下高井戸」の地名でありながら駅は「松沢」に存在しているという矛盾があります。所属も杉並区に含まれる「下高井戸」という駅名が世田谷区に含まれるという問題があります。そのため、下高井戸駅前に整備に世田谷区が熱心であるという奇妙なねじれも生じます。商店街も実際には下高井戸にはほとんどありません。最近、ネット上で下高井戸振興に熱心な人もほとんど松原にある会社で下高井戸にはありません。
そして、「下高井戸」あるいは「しもたか」が示すのは実際には駅周辺つまり松原であり、地理的な下高井戸から近い桜上水駅や上北沢駅を「下高井戸住人」が利用しているという発想はあまり無いようです。
この矛盾こそ §
実はこの点で矛盾しています。
しかし、矛盾した下高井戸の本質とは何だろう?
駅や商店街は、追いやられたのだろうか?
それとも、逃げ出したのだろうか?
余談 §
京王線下高井戸駅は名前は変化しても一貫して松原に存在します。当初は大踏切の西にありましたが、延ばさないで東に移転しています。その結果、ホームの一部が杉並区には入らないようになっています。