スペース1999は誤解されることが多い特撮です。そに理由は、明らかに矛盾のある設定にあります。そもそも、漂流する月がぽろぽろと異星人に出会いすぎます。
しかし、それは良いのです。これは科学的な正確さや設定の整合性を語るべき作品ではないからです。訴求点も魅力もそこにはないのです。
ヤマト復活編を見て、再びヤマトに関して考え始めたとき、同じだと気付きました。
ガミラス人の肌の色とか、宇宙に上下があることを今更鬼の首でも取ったように騒いでもウザイだけです。そこは、そもそも見所ではないわけです。
では、どこが見所なのか。
たとえば、ヤマト乗組員が誰でも通信室から出てくると泣いているようなところが、本当の意味での見所でしょう。
あるいは敵の捕虜を殺しにいったはずの古代が、捕虜の自殺を止めてしまうようなところが、本当の見所でしょう。
とすれば、ヤマトの本当の価値は「心」にあります。
それはヤマトの魂と言っても良いでしょう。
であるから、あらゆる装備は全て「心」を描く手段に過ぎず、そのために選択されて使用されます。その結果として、明らかな矛盾が生じても、「心」を的確に描くためであればOKです。
そう思えばキン肉マンも設定の矛盾で有名ですが、人気はかなり大きなものがあります。やはり、そういう問題よりも「心」が大切だからでしょう。
共通点 §
- 最初は良いのに徐々に続くうちにつまらなくなっていく
- 自らの創世の秘密に触れて終わってしまう (惑星アルカディア等、キン肉王家、惑星アクエリアス)
- 奇跡の復活を果たす (スペース1999のファン作ムービー、キン肉マンII世、ヤマト復活編)
つまり §
設定の整合性など、どうでもいいわけです。現実世界そのものが矛盾に満ちあふれている以上、整合した設定など「非現実的」です。それよりも大切なのは、人の心を誠実に描くことです。そのあたりを間違えた作品ばかりなので、アニメがすっかりつまらなくなったのではないでしょうか?
だから、スペース1999の見せ場は緻密なメカではなく、グラント内部に取り越されつつ口八丁で生き延びるコーニッグ司令官であり、キン肉マンの見せ場は輝かしい勝利ではなくリングの上を本音を晒して逃げ回る最弱超人キン肉マンであり、ヤマトの見せ場もどれほど派手なシーンよりも肉親を無くして酒を飲む艦長と戦闘班長だったりするわけですね。
感想 §
というわけで、オレはヤマトファンだぞ! (言葉の意味は分からないが何か凄い自信だ!)
うん。キン肉マンII世が好きなアニメだった理由が良く分かりました。心のドラマこそ、私の好きなものです。
心に愛が無ければ、スーパーヒーローじゃないのさ!
だから古代もコーニッグもヒーローなんだ!