最近、昔録音したテープをデジタル化する作業をやっていますが、確認のために聴いているとヤマトの割合も大きいことが分かります。
そうすると、序盤のシーンには徳川反乱やヒス反乱の伏線が仕込まれていることが分かります。デスラー機雷のあたりでは、機関室で徳川が艦長の考えが分からずぼやいでしまうし、ヒスはデスラーの真意が分からずに媚びへつらう言葉でデスラーを不快にさせて皮肉を言われています。(波動砲を豆鉄砲と呼ぶなど)
すると、実は宇宙戦艦ヤマトという作品の持ち味がガラッと変わってきます。
本来、沖田の理解者であった徳川が反乱し(真田でも同じだ)、デスラーを補佐する副総統ヒスも反乱するとすれば、古代やデスラーはいったい誰を信じて良いのでしょうか?
とすれば、本来のヤマトは「敵を倒す」という話ではありません。結局、戦いで決着を付けるしかなかったのは、放送期間が短縮されたからであって、本来なら「誰の味方をするのか」という決断の要素が大きかったはずです。
ヤマトもガミラスも2勢力に分かれ、合計4勢力。更に、イスカンダルとハーロックも加わり、5勢力が入り乱れる世界になったのかも。とすれば、シンプルに敵と味方が別れる「永遠に」や「完結編」のようなストーリーは結果としてヤマトらしい構図を描きつつも本来のヤマトではなく、むしろヤマトIIIや復活編のように「複数勢力の誰が味方か良く分からない」世界の方がヤマト的なのかもしれません。
そして、そうなってくると「古代とデスラー」の友情も、もっと別の形で受け入れ可能になります。たとえば、反乱者よりも古代が、あるいはデスラーが精神的に近い存在だと思えば、互いに酒を飲むことも単なる「仮定」ではなく、あり得る展開かもしれません。
もしヤマトを代表する1本を選ぶなら §
それは、個人的には文句なく「宇宙戦艦ヤマト 第10話 さらば太陽圏!!銀河より愛をこめて!!」です。何しろ、戦闘シーンがありませんが浮かれて楽しそうに通信室に入った人が漏れなく泣いて出てくるという凄い展開で見応えは十分です。
(実は、通信室に徳川を連れ込んだ森雪ですが、徳川を好きな男と勘違いされています。このことは、実は徳川が反乱を起こす動機付けの1つとも言えます)
とすれば、戦闘シーンはヤマトの見せ場であって見せ場ではないことになります。それを上手く描くことは重要であり、ヤマトの魅力の1つではありますが、実はそれ無しで成立してしまうのもヤマトです。
しかしねえ。森雪の通信のシーンを、今ごろ聴いて始めて理解した気がしますよ。漠然とした未来の可能性の話ではなく、生々しい出産を念頭に置いて母親は話していますね。出産経験者だから当然ですが。
余談 §
やはりヤマトは、夢、ロマン、冒険心からできています。戦闘は冒険心に伴って不可避な現象として発生するだけです。ついでに、秩序に対する反逆も必然的に含まれます。それが冒険というものです。
ああ、ロマンを語りたいねえ。