前置き §
熱血小説は、発売当時のリアルタイムで買ったものではありません。
おそらく、売れ残りか古書店でかなり後になって買ったものです。
発売当時は、若桜木虔版の小説や、ムック本なども買っていますが、何せ全部フォローできたのは最初のロマンアルバムから2冊目ぐらいまでで、あとは雨後の竹の子のごとくブームで増えたので「厳選した1冊」を買えば良いという方針に転換しました。買ったあとで出た本はよく知りません。というわけで、熱血小説も発売された頃は全く存在を知りません。
というわけで、発売当初の初版のロマンアルバムや、AR台本の載ったさらば、新たなる旅立ちのムックなどはあります。これらは、サイズが大きいので本棚に入れておいたら今でも残っています。文庫サイズの小説本は今手元にありません。整理がしやすいので整理されてしまった感じです。
熱血小説はそういうどさくさのあとで買ったものなので、本棚に入ったまま残っていました。
しかし、特攻になぞらえる記述などに辟易して読まずに放置されていました。それを昨日になってやっと読みました。
作者はどういう人だろう? §
既に存命ではありません。かなり古い人です。戦前から活躍している、主に少年向きの小説家であると言えます。
ということは、非常に大ざっぱに言えば、敵中横断三百里や浮かぶ飛行島などの諸作品と基本的には同じ世代の作品群を書いてきた人であるとも言えます。
(実は、敵中横断三百里や浮かぶ飛行島やのらくろや冒険ダン吉は読んだことがあるのだ)
ここまで来ればあと一歩です。
たとえば、ヤマトに関連してたまに「新戦艦高千穂」という名前も出てきますが、ざっくばらんに戦前と戦後を分ければ、「新戦艦高千穂」と同じバックグラウンドを共有する……、つまりヤマトの原点となる世代と言えます。
この世代は他国の領土を奪うことを罪とも思わないわけで、むしろ景気刺激策として大陸に進出すべきという発想を持ちます。
まずこれが前提です。これを踏まえないと先に進めません。
従って、軍国主義的とも思える描写があっても、それがすぐに右翼的であるとはいえません。単に生まれ育った時代の常識でしかない可能性もあるからです。
読む前の心構え §
- 登場人物の考えを述べた部分と、通常の地の文(つまり作者本人の考えと思われる)をきっちり分けながら読む。好戦的、右翼的なことが書かれていても、単にそういう人物という設定というだけかもしれない
- 現在「軍国主義的」と思える描写と、過去には当たり前だった表現を分けよう (当たり前の表現を当たり前に使っただけなら「軍国主義的」とはいえない)
- 歴史認識等に「あれ?」と思う部分があっても、それは作者が知った当時の背景に照らして判断しよう (21世紀の常識で判断はできない)
- 科学的な正確さはこの際無視しよう。(艦載機のヘリコプターが宇宙を飛んでもめげない!)
実際はどうだろう §
心構えを徹底して読み始めたところ、序盤はもたついたものの、最後の方は一気に読みました。
面白いのだ。
実に面白いのだ。
熱血小説とはこれほど面白いものなのか!
さて、具体的な話に取りかかりましょう。
まず、最初に驚いたことは、「自分の考え」を述べた箇所が極めて少ないことです。実は「登場人物の考え」を述べた部分がほとんとです。
日本の地球防衛軍の中核を特攻隊の精神にあやかって青少年にしようと考えたのは作中の「沖田」であって、作者自身の描写はそれに関して中立です。そして、必ずしも沖田の判断を支持しているとは言えません。というのは、好戦的な沖田の判断で惑星に漂着する展開もあるからです。作者は中立であり、ヤマトを支持してはいても、個別の登場人物の個別の判断も支持しているかは分かりません。
そして、ヤマト登場で驚きました。ずばり、本来ならこのような武装は要らないのだと言い切っています。
つまり、ヤマトの本質は「蛮族が待つ未知の海に乗り出す冒険船」であって、軍艦ではありません。
このような感覚は、戦前ではよく見られたものです。今では、「武装した船」は軍艦と短絡的に発想されてしまいますが、実際は必ずしもそうではないのです。
ガミラスはどうだ §
科学力で勝るガミラスにヤマトが勝てる根拠は、ガミラスの奢り高ぶりにあるとするのがこの熱血小説です。
彼らは偉大な王国の末裔であり、驚異の技術力を行使するが、基本的には蛮族です。つまり、南海の海洋冒険のフォーマットに忠実です。
そして、彼らが好戦的で残忍であるからこそ、ヤマトは武装しなければならないし、物語の多くは戦闘シーンである必要があるのです。
そこでハッとしたのは実は「精神力」でこそ勝つという設定です。
実はこれスペース1999と同じです。スペース1999は第1話からして「Human decision required (決断はおまえらがやれよ)」とコンピュータがさじを投げたあと(日本語音声では「人間の英知に期待します」ときれい事になってますけどね、本質は同じ)、圧倒的な科学力を持つ異星人達に対して精神力で勝っていく話です。どれほど、ムーンベースアルファやイーグル宇宙船が科学の驚異であろうと、バーグマン教授が「凄い装置を作ってくれる天才」だろうと、最後は主人公コーニッグ指揮官の「諦めない心」で勝ちます。科学力はたいていの場合、活用されるべき手段でしかなく、大抵は宇宙の驚異に負けます。
要するに、ひねくれたイギリス特撮もヤマトも行き着き先も、同じ世界だったのかもしれません。
ロンメル §
ちなみに、シュルツとドメルの間にロンメルという敵の将軍が出てきます。ドメルとは別人です。このあたりも興味深いところです。
ちなみに、この熱血小説は以下の特徴があります。
- 特に前半はTV第1シリーズとの変更が著しい
- 主要ではない登場人物の変更が著しい (ロンメルもそうだがヤマト乗組員の名前の変更も多い)
- 航海の途中の経緯は大幅に変更されている
- 波動エンジンはそのまま光速以上に加速でき、ワープとは入ることがでできる特殊な空間である (ワープを使わないと期限内にたどり着けない)
まとめ §
というわけで。
これは面白い小説です。しかし、読むためには戦前の冒険小説に関するある程度の慣れも必要でしょう。万人にはお勧めできません。それなりの読書経験がおそらく必要でしょう。
余談 §
ヤマトの第1シリーズの小説と「さらば」の小説にはギャップがあるような気がします。というのは、以下の差があるからです。
- 劇場版を前提にした「さらば」はゆとりが大きいので、独自展開を挿入しやすいが、第1シリーズは長い話をまとめるために忠実さを保つだけで精一杯となり、独自性は発揮しにくく、かつ無理やカットが多くなる傾向にある
というわけで、「忠実ではあるが今ひとつワクワク欠ける」のがヤマトの第1シリーズの小説達の特徴だと思っていました。もちろん、石津嵐版は別としてね。(まあ全部読んだとは言えませんが、そういう気分でした)
しかし、航海全体を全て整理し直して、忠実であることを是とする当時のファンの神経を逆なでしてまで、独自の世界を描く小気味良い爽快さが確かにここにあります。
そうそう、そういう反逆精神こそがやはりヤマトでしょう。
また、諸般の大人の事情により、そういった逸脱を許せるのが、大御所の高垣眸ぐらいだった、というのも事実なのかも。無名の作家がやっても「バカ野郎」で終わりでしょうが、「この高垣眸先生の名前が目に入らぬか~」と出して行けば、やっと通るということなのでしょう。