無限に広がる大宇宙
そこには様々な生命が充ち満ちていた
死にゆく星
生まれ来る星
命から命に受け継がれる大宇宙の息吹は永遠に終わることはない
さて、微妙に違うバリエーションはいろいろありますが。とりあえず記憶でえいやっと書いてみました。しかし、実はよく考えるとこれは変です。
- 主語が錯綜している。生死は星の問題だが、満ちているのは生命だ (生命は必ずしも死んでいない)
- 宇宙は宇宙論の一部バリエーションは永遠を前提にするが、全ての宇宙論が前提としているわけではない。収縮に転じる可能性もある。また宇宙が永遠でもエントロピーを考えるといつか繰り返しは止まるだろう
つまり、矛盾していて論理的ではなく科学的とも言えません。
しかし、この文章は以下の点に注目すると、宇宙を語っているようで実は別の何かを語っていることが推測できます。
- 生と死が対になっている (両方が見える)
- おそらくあり得ない永遠が断言されている (たとえ宇宙が永遠でも同じことが永遠に繰り返されるとは限らない)
つまり、これは「生と死の中間領域」の話をしているのであって、その領域には「永遠」という特徴があるわけです。そして、永遠とは無限の時間を意味しているわけではなく、そこに時間の概念が存在しないことを意味します。なぜなら、死んだ人間と会えるのは、時間が消失した空間に限られるからです。その空間で、生前の死者と、現在の生者が出会うことが出来ます。つまり、生者と死者が共存できるのが、「生と死の中間領域」です。
「永遠に」の最大の謎 §
そう考えれば、新たなる旅立ちで死んだはずのスターシャが延々と宇宙で話し続ける理由も分かります。そこは無時間の世界であって、死者と生者が語り合うことができます。
そうか!
「永遠に」とは、この意味での「永遠」だったのだ!
つまり、生者と死者が出会うが、生者が死者を正しく死者に戻す作品なのです。それを行うには、無時間つまり永遠が必要であり、タイトルはそれを示しているのです。
ついでにデスラーが「永遠に」に出てこないのは、もし出てしまうと彼が死者であることが分かってしまい、彼もまた死ぬ側に分類されてしまうからです。
更に、カットされた古代進らが仮死状態になる展開も、生と死の往復です。そして、時間を持つのは生者の特権ですから、死者が告白する未来時制の時間も嘘になります。死者は時間を持てないのです。地球と敵母星にある2つのスイッチを同時に破壊するというのも、時間を持った生者にしかできない特権です。「同時」とは、時間を持った者にしか扱えない概念だからです。
そして、「永遠に」を経て成立するヤマトIIIにおいて、もはや死者は死者であることを隠しきれません。マザー・シャルバートは、最初から死者として視聴者の前に出現するしかありません。
感想 §
冗談じゃないぜ、今頃になってヤマトが音を立てて違う姿を見せ始めた!?
しかし、信じてはいかんぞ! この解釈もな!
実は、生死によるヤマトの解釈は、単に「そう解釈することもできる」という程度の発想で始めたものですが、実はこれまで解釈できなかった「永遠に」を解釈できるという意味で、凄く切れ味の良いツールだと発見して言ってる自分がいちばん驚いているのかも。
ちなみに、集団作業で作られるヤマトにおいて、整合性を維持しようとするオフィシャルがどのような設定を言うかに関係なく、作品の背景にある集合無意識的な真相を探り当てたいと思います。そういうレイヤーの話です。
しかし、それはさておきもっとミーハーな話をしたいですねえ。ヤマトにワクワクする心は本質的にはミーハーです。どれほど理屈を付けてもミーハーが勝ちます。それがヤマトというものでしょう。