はたと気づきました。
ヤマト第1シリーズで、マゼラニック・ストリーム(と異次元空洞)は三途の川であると解釈できることに気づきました。
とすれば、生者には渡れません。精気を吸われて生命に危機の瀕します (ヤマトがエネルギーを吸われて危機に瀕した)。そして、死者の女王の導きで始めて渡れます。一方で、死者であるドメル以下ガミラス艦隊は平然と入ります。既に死んでいるから簡単に入れるのです。
つまり、宇宙は生と死の境界領域で生者と死者が共存しますが、その中にも境界線が存在することになります。
そして、境界線を越えると時間と距離は意味を失います。そのため、中間地点バラン星が中間である意味も無くなります。地球滅亡までの日数が迫っていてもバラン星まであと何日であっても、日数に意味はありません。従って、中間地点バラン星の手前にあれほどあったエピソードが、バラン星と目的地の二連星の間には僅かしかないことも問題ではありません。
更に言えば、死者の国の秘密を知ってしまった者達が死者の国から生者の国に生還する際、もはや三途の川は障害になりません。その代わり、死者が黄泉に国から追ってきます。構造的にバッチリ適合してしまうことに驚くばかり。
ちなみに、好敵手(ライバル)が生きている必要はありません。それこそライバルが自分であったり、昨日の自分であったりする事例も珍しくない以上、既に死んでいる誰かを乗り越えるために必死に戦うことも無茶ではありません。(そこ、デリオラはオレが倒すとか言わない!)