「徐々に世界観というものが固まってきた気がする」
「というと?」
「アニメの世界には、2つの乗り越えるべきハードルが存在するんだ」
「というと?」
「1つはアニメ海のトリトンの結末。もう1つはコミック版ナウシカの結末だ」
「確かにそれはハードルかもね」
「従って、宇宙戦艦ヤマトという作品は第1ハードルを超えた先に存在する」
「時系列的にそういうことになるね。両方とも西崎さんの手がけた作品だし、継承性はあるだろう」
「更に言えば、復活編は第2のハードルを超えた先にある」
「なぜそう言い切れるの? ナウシカは関係ないでしょ?」
「ポニョを超えるという意気込みを示したとき、比較対象はポニョだったのだ。分かるかい?」
「うん、そうらしいけど」
「もちろん、ポニョはコミック版ナウシカの結末という第2のハードルを超えた先にある」
「なるほど。間接的にハードルの先を見ていることを示唆しているわけだね」
「しかし、世の中にはハードルを超えていない人たちがごろごろいる」
「なぜそう言えるんだい?」
「ハードルよりも手前の作品が相変わらず再生産され、それが支持されているからだ」
「なるほど。既に否定されたはずの巨大ヒーロー大活躍で問題が解決するような幼稚なパターンが繰り返されるね」
「そうだ。巨大ヒーロー大活躍で問題が解決しないのは、実は既に描き尽くされている問題と言えるんだ。イデオンだって、結局イデの力が発動してひたすら勝っていくけど最後は両方とも人類滅亡だ」
「イデオン持っていても地球から追い出されるしね」
「うん。だからさ。トリトンもコミック版ナウシカも、武力の行使の有効性の限界を描いているんだよ。戦って勝ってもそれでは問題は解決しないんだ」
「するとヤマトも」
「そうだ。戦っても問題は解決しなかった、という話なんだよ。ドメルは自爆しちゃうし、ガミラスは滅んでしまう」
「神様の姿が見えないぐらいね」
「だからそこなんだよ。ガミラスは滅んでしまったから、戦ってはいけないと古代は反省したのにまた戦ってしまうからおかしい、というのは子どもの理屈だ」
「でも、戦っても問題は解決しないんだろう?」
「ああ。そうだ。解決しないけれど、手を汚して人間は生きるしかないんだよ」
「そうか」
「だからさ。きれい事だけで生きられることを要求しちゃうそういう態度が、ハードルを乗り越えていない態度なんだ。結局、みんな手を汚して生きているんだ、という認識に到達できていない」
「そうかもしれないけど、いったいそれがどういう意味を持つの?」
「ここにコミュニケーション不可能の断絶が発生するわけだ」
「ええっ?」
「だからさ。アニメ業界というのは、もともとハードルを超えた先にあったわけだ。トリトンやヤマトを踏み越えた先にしか未来はない」
「うん。そうだね。どちらも革新的な人気作だからね」
「でも、スクール商法で無限にスタッフが再生産されることで、いつの間にかハードルの手前の人間が多数派になってしまった」
「ええっ!?」
「だからさ。もう今のアニメの世界にトリトンを前提に見る者の居場所はほとんど無いのだ。土星行っても冥王星行ってもおまえに買ってやるお土産は売ってないようにね」
「それは厳しいね」
「それだけじゃない」
「というと?」
「必然的にヤマトは浮いてしまうのだ」
「そうか、ヤマトがトリトン後の作品なら必然的に浮くね」
「ジブリの作品群も浮いてしまうが、同じことなんだ」
「なるほど」
「あるいは、ケロロ軍曹の映画がいくら凄くても、クレヨンしんちゃんの映画がいくら凄くても、浮いてしまうんだ」
「ええっ?」
「このばかちんがー、ときれい事ばかり言う偽ケロロをケロロが叩いてしまうような状況が、いわばハードル後なんだよ。あるいは敵が花嫁(希望)軍団だったりするような状況だね」
「話がどうにも屈折しているね」
「その屈折を前提にできるかどうかが問題なんだ」
「前提にするとどうなるの?」
「ほら。たとえばさ。ガンダムSEEDってアニメがあったじゃない。あれの女艦長が割と常識的センスがあって良い艦長なんだけど、副長の方が世間知らずの堅物できれい事ばかり言って困らせる。この副長は典型的な現実を知らない若造なんだけどさ。でも、副長の言い分の方が正しいと思えてしまうファンも多かったらしいぞ」
「そうか。それがハードル前か」
「だから、いいアニメをいくら作ってもそもそも解釈ができないのがハードル前だ。ならばどうすればいちばんいいと思う?」
「別のファン層を開拓するかい?」
「子ども向けならそれでもできるが、マニア向けでは無理だ」
「じゃあ、どうするんだい?」
「解釈を要するような中身を入れなければいいのさ」
「でも、中身がなかったら面白くないじゃないか」
「いいんだよ。解釈出来ない中身なんてあっても無くても同じだからさ」
「でも、解釈できるハードル後のファンにはつまらないだろ?」
「うん。つまらないから離れてしまうが、しょせんは少数派だからビジネスにはあまり関係ないだろう」
「なるほど。今となってはもう少数派か」
「うん。だからさ。家のカラーテレビを確保できない少数派だからモノクロテレビでヤマトを見ていたってことでいいよ。少数派であることはなんら問題ではない」
「それでいいの?」
「いいさ。たまに時代の方が追いついてくるしね」
「実際ヤマトブームは追いついてきたしね」
「それで、本放送から見ていたと威張れたかというとそうでもないけどね」
オマケ §
「いやさ。もう1つあったよ、ハードルが」
「それはなに?」
「ZZガンダムの主題歌、アニメじゃない」
「前に話題にしたね」
「結局、ガンダムファンはあれを乗り越えられなかったんだ」
「アニメのくせにアニメじゃないとは何事かって、そこで思考停止なのかね」
「まあ詳しい話はすでにしたから繰り返さないけどさ。ここで、既に結果は見えていたわけだ」
「ずいぶん昔だね」
「それ以前にトリトンで既に結果は見えていたかもしれないけどね」
「それに輪を掛けて昔の話だ」
「しかし考えてみるとさ」
「なに?」
「本当にトリトンが最初だったのだろうか」
「ええ?」
「実は、普遍的に繰り返されるパターンで、トリトンはその1つに過ぎないってことじゃないだろうか」
「じゃあ、それ以前には何があったのかな?」
「実は前の戦争そのものが、そういうパターンではなかったのか」
「もはやアニメじゃないね」
「しかし、世界に誇る列強の片隅にいた日本が負けたんだ。世界第3位の大海軍を持っていたけど、負けたんだ」
「そうか。それが武力行使の限界というわけだね」
「いくら強力な海軍を持っていても、商船隊を熱心に守る気がなければ、通商ルートを遮断されて負けるのが必然」
「物量に負けたんじゃないの?」
「それはただの言い訳だ。軍縮条約でアメリカが5に対して日本は3という比率が出ているけどさ。ドイツに大西洋で戦ってもらえばアメリカが太平洋に向けられる戦力は半分に過ぎない。圧倒的な物量差など数字の上であり得ない」
「でも、物量差はあったじゃない」
「そりゃそうだ。アメリカは日本を負かす前にドイツにとどめを刺しているんだ。その後は、量で負けて当たり前。それ以前に、アメリカは海運大国の日本の商船隊を沈めまくって本土に物資が届かないようにしてしまったんだ。物資が届かないなら物量で負けて当たり前」
「なるほど」
「だからさ、西崎さんは戦中派的な発言にここでつながってくるんだよ」
「ええっ?」
「前の戦争を体験したリアリティからすると、戦争なんてやるだけ損をする無駄な行為なんだよ。たぶんね」
「でも戦ってしまうよ」
「そうさ。それにも関わらず、戦わねばならないという教訓もあったわけだ」
「しかし、そうやって戦いたくないのに戦うとしたら、どこに根拠をもとめればいいのだろう?」
「もちろん、国家でもなく正義でもなく、愛だろう」
「まさにヤマトだね」
「結局、国家や正義を語る者の多くが戦争をやりたいがための詭弁に過ぎないとすれば、戦う根拠は愛しか残らないさ」
「愛も詭弁の道具になるんじゃないの?」
「そうさ。愛を口にする嘘つきは多い」
「なのに、それでも愛のために戦うの?」
「結局、最終的にそれしかないからだ。国家も正義も信用を失った今となってはね」