「2世サイクルという考え方があるのかもしれない」
「三つのしもべに命令だ。ロプロス!、ポセイドン!、ロデム!」
「いや、それは2世は2世でも違うから」
「キン肉マン・タロウじゃない」
「それも違うから」
「2世サイクルって、そういう言葉があるの?」
「あるかどうかは知らないがな。2世はダメだ。世襲はダメだという考え方は一般的に世の中にあるようだ」
「本当にダメなの?」
「それは分からん」
「それで、分からないことを語りたいわけ?」
「いやいや。そうじゃない。まわりみちだけど特撮の話をしよう」
黄昏の特撮 §
「特撮には黄昏の時代があったと思うわけだ」
「というと?」
「怪獣映画はどんどん子供向きになってつまらなくなっていき、ゴジラ映画も打ち止め。ウルトラはレオで打ち止め。ライダーもストロンガーで打ち止め。かろうじて戦隊ほか少数が細々と続くだけ。世の中はどっとアニメに行ってしまった」
「その流れを加速させたのがヤマトであり、アニメブームだね」
「いや。確かにそうなのだが、それとは別に特撮の面白さそのものが落ちていったという感じがある」
「それはどういうことなんだろう?」
「つまり、2世サイクルなんだろう」
「もっと詳しく説明してよ」
「偉大なる先駆者の後を継ぐ世代はどうしても小粒で保守的になってしまう、ということなんだろう」
「なるほど。小粒か」
「だから、ゴジラは素晴らしかったと思うと、またゴジラを作ろうとする」
「昔の特撮はもっと幅広かったのにね」
「しかし、映画の本質が客を驚かせることにあるのなら、予測可能な範囲内で映画を作っていては受ける訳がない」
「なるほど。子供に見せて親は寝ていればいいわけだ」
「このサイクルを打破するには、偉大なる先駆者から切り離された、いわば第3世代を待つ必要があったのだろう。現状、特撮はそういう段階にあると思う。そして、田園調布号はスプート29を乗せて飛ぶわけだ」
「なるほど。あれは偉大な先駆者からいろいろな意味で切り離されている企画だね」
「モジャットは宇宙人だけど素顔だし、着ぐるみや特殊メイクに頼ろうとする2世世代の発想とは明らかに違うね」
「で、その話がどうしたの?」
アニメの黄昏 §
「そして、今はむしろアニメの黄昏の時代だ」
「いいアニメは無いの?」
「あるけど、数が少ないし、アニメの大半にはパワーがない」
「なるほど。これが2世サイクルだね」
「偉大な先駆者のアニメを見て自分もアニメを作ろうとした世代はどうしても小粒になる」
「やっと言いたいことが分かったぞ。だから、ゴジラは素晴らしかったと思うと、またゴジラを作ろうとするのと同じように、ロボットアニメが素晴らしかったと思うと、またロボットアニメを作ろうとするんだね。あるいは、美少女アニメが素晴らしかったと思うと、また美少女アニメを作ろうとするんだね」
「うん。だから。そういう時代が続いてすっかりアニメは衰退したと思う。構造としてはゴジラと同じだ」
ヤマトの黄昏 §
「同じことはヤマトにも言えると思うが、事情が少々違う」
「というと?」
「2世サイクルはヤマトをやれなかったんだ」
「亜流がほとんど無いという話もあったよね」
「うん。だから、2世サイクルのスタッフが一生懸命ヤマト風に作ろうとしても、結局ロボットが出てきてロボットアニメになっちゃう。ヤマト以外にほとんどお手本がないから、ヤマトから変えようとすればお手本が多いロボットに逃げ込むしか無くなってしまう」
「なるほど」
「ここで重要なことは、受け手にも2世サイクルがあるってことだ」
「ええっ?」
「素晴らしいものを自力で探し当てた世代が1世なら、誰かから面白がるシステム一式を教えられた世代が2世だ」
「なるほど」
「従って、受け手が2世サイクルに入ると、実は大胆な作品が受容されにくくなる」
「具体的には?」
「だから、YAMATO 2520が典型例だよ」
「ええっ!?」
「べつにつまらないOVAというわけではないが、受け手が2世サイクルに入って行くとああいうアニメは受容されない」
「他に例は?」
「最近良く分かったけどガンダムZZもそうじゃないかな。明るいイデオンがあったことを考えれば明るいガンダムがあってもいいけど、Zガンダムこそ我が世代のガンダムと思い込んだ2世サイクルの受け手には受容できなかったようだ」
ヤマトの復権はあるか? §
「話はそれでおしまい?」
「いやいや。話はこれからだ」
「というと?」
「だからさ。特撮は復権したんだ」
「アニメも復権するかもしれないということ?」
「その可能性はあり得るな」
「それはいつ頃だい?」
「その尖兵がヤマト復活編かもしれない」
「ええっ? どうして?」
「おそらく第1世代の先駆者がトップを固めて、第3世代の若者が現場で走り回っているからだ」
「そうか。第2世代抜きか」
「そういう年代に差しか掛かりつつあるのだと思う」
「そうすると、なぜ西崎さんが三十代四十代にだめ出しするのかも良く分かる」
「なぜ?」
「そこが第2世代のボリュームゾーンだからだ」
君はどっちだい? §
「じゃあ、実際に四十代の君はどっちだい? 第1世代? 第2世代?」
「第1世代と第2世代の境界にいる。かろうじて間に合った第1世代なんだと思う。ただし、個人差や地域差もあるので、同い年なら同じとも言えない。数年の誤差はあるだろう」
「なるほど」
「だから、第2世代から見ると年代が近いし話題も近いから話が通じるように錯覚されるが実際はまるで通じてない」
「萌えっていいよね。ロボットっていいよね。ガンダムっていいよね。という態度で接してきても……」
「こちらはぜんぜんそう思ってないから通じないよ。前提が違いすぎる。やはり酒が飲めるアナライザーと飲めないガ○ダムでは勝負にならない」
「見ている前提が違いすぎるよね」
「好きな映画が海底軍艦とか緯度0だからね。ガンダムが好きとかいう連中と話が合うわけないよ」
「しかも自力で探すタイプだね」
「そうだ。海底軍艦も緯度0も誰かに教えて貰ったわけではない。みんな見ているから、人気があるから、誰かが面白いと言うから見ている訳ではない。それで良ければ決断見ないで仮面ライダーを見ていたさ。でも実際は殴る蹴るで勝っちゃうライダーより日本が負けちゃう決断の方が面白かった。大半のエピソードはいくら日本を応援しても日本の負け。殴ったり蹴ったりしてもダメ。だって敗因は決断の問題だからさ」
「なるほど」
「でも、これはもっと別の意味でもやはり境界なんだ」
「というと?」
「たとえばさ。首都高速が作られているところを見ている世代なんだよ」
「それってどういうこと?」
「できる前の光景も見てるし、作っている光景を見ているんだよ」
「それで?」
「だから、当たり前の風景じゃないことが良く分かっていて、壊すことも作り直すこともできることが良く分かっている。それは我々の世代の主体性の問題なんだ」
「それって当然じゃないの?」
「いや、そうでもないのだ。下の世代になると、そういう光景を見ていないから、存在が当たり前なんだよ。人の作ったものだという感覚が希薄なんだ。いくらでも変えられるという感覚が希薄なんだ」
「じゃあ第3世代はどうなんだろう?」
「もしまた性質の違う第3世代なるものが出てくるとすれば、いい加減賞味期限が切れて壊れ始めた社会インフラをどう変えていくのか悩まされる世代ということになるんだろう」
「そういう時代になったらまた違うかもしれないね」
「そこまでは、まだ良く分からないのだけどね」
オマケ §
「この話は単にメモにあったから書いただけなんだけどさ」
「うん」
「でも、書いてみると意図しないで西崎さんが三十代四十代にだめ出しする理由まで行き着いたのは収穫だ」