「ヤマトはフネという言葉を当初使っていたが、あとからカンに置き換えられていく感じだ」
「うん」
「で、フネといったらサザエさんだ」
「おいおい。どうして繋がる」
「いやね。あまりに当たり前すぎて表現のバックグラウンドにまで目が行き届いていないのかもしれない、という懸念が共通するのだ」
「は?」
「長谷川町子美術館はけしてサザエさん博物館ではない。長谷川町子がコレクションした美術品を展示するためのものだ。もちろん、桜新町にはサザエさん一家があちこちにいて、美術館にサザエさん関係の展示もあるし、売店にもサザエさんグッズがある。しかし本質はそこにはない」
「なるほど」
「では、美術館が成立するコレクションを背景にしたサザエさんのシンプルな線とはなんぞや」
「表現のために無駄をそぎ落としたこだわりの究極形ということだね」
「そうだ。単純な線しか引けない、理解できないわけではない。むしろ勇気を持って線を減らせる表現力の高さが重要なポイントになる」
「それとヤマトがどう関係するの?」
「ヤマトは確かに線が多いけれど、実は映像に込められた情報量というのはかなり整理されている。実際、名前をもらっていない人物や宇宙艦も珍しくない」
「そうか。第1空母は赤城みたいな固有の名前をもらってないしね」
「ディンギルの少年に名前もないし」
「そうだね」
「これの対極にあるのが、分厚い設定資料を作成して何もかも決めてあるアニメだ。あるいは、線をいたずらにふやし、色数を増やし、見せかけの情報量を増やしたアニメだ」
「マニアは後者を好むよね」
「でも本当は違うんだ」
「どう違うの?」
「そういうのは、マニアが好むのではなく、マニアを気取りたい子供が好むのだ」
「そうか。見せかけの情報量が増えるとマニアっぽく見えるからだ」
「うん。でも実際はそうじゃない。サザエさんで一晩中熱く語れるのが本物のマニアだ」
「君はどうなんだい?」
「さすがにそのレベルまでは行けない。せいぜい、根本と杉山で一晩熱弁振るう程度だ」
「それもかなりのマニアだよ」