別件でチェック中にはたと気づきました。
松本コミック版ヤマトの後半は、以下の点で実は2にそっくりです。
- 土方がアンドロメダに乗っている
- 戦闘衛星がヤマト発進を阻止する
- ヤマトはアンドロメダと交差して、土方は「発見できず」と報告する
- 第11番惑星で空間騎兵隊を収容する
- ワープ前後で敵機と激突する
しかし、違う点も多くあります。
- 最初から古代はヤマトに乗っていない
- テレサの通信を島が熱心に受けていない
考察 §
「さらば」→「松本コミック版ヤマト」→「2」という時系列で見ると分かりやすいのかも。つまり、「松本コミック版ヤマト」は「2」のよりピュアな原型ということです。松本先生が望んだ本来の「2」により近い表現なのなも。
それから「激突ワープ」の真相がよりよく見えてきた感があります。「2」の激突ワープはイマイチ存在意義がはっきりしません。しかし、原型コミックにあるシーンだから強引に後から入れて、前後のつながりが失われてしまったとも考えられます。敵の正体が分からない時なら激突の意味はあったわけですが。
更に考察 §
実ははたと気づいたのですが、松本コミック版ヤマトの「さらば/2」相当分には固有の名前がありません。実は、「さらば」でも「2」でもない独自のものだから名前が無いのかも。
そうすると、以下のような流れなのかも。
- さらば制作開始
- 松本先生は「さらば」に不満を抱き、別バージョンのさらばを構想する
- 構想の前提はテレビ版であった (さらばと比較して、語り口がゆっくりしている)
- 営業上の理由から「さらば」のテレビ化の企画が浮上
- 「さらば」公開 & 別構想コミック化
- テレビ化企画案として別構想を採用 (さらばのままでは中身が足りない)
- テレビ化企画案が「2」となる
- 「2」開始
- 別構想のテレビ化の前提であったコミック版は役目を終え、未完で終わる
この流れは、未完で終わっている理由を説明できるという意味で魅力があります。ちなみに、松本コミック版は、誌面の都合でかなり圧縮されていますが、第1シリーズは終わりまでやっています。最後はほとんどダイジェストですが終わっています。しかし、第2シリーズはそういう終わりを付けていません。これは、やりたいことを全てできなかった第1シリーズと(未練があるから終わりまでやりたい)、やりたいことを全てやって終わった第2シリーズ(未練がないからもう進めない)の差とも考えられます。
永遠のジュラという提案 §
「はたと気づいたのだが」
「なに?」
「永遠のジュラが、松本先生的な続編の提案その1だったのかもしれない」
「でも、実際はさらばだった」
「永遠のジュラは、やはりスケールが足りない。TVシリーズを維持できるサイズではないし、映画にも足りない」
「そうか。だから、松本コミック版ヤマトの後半がやたら情感豊かに膨らんでしまうのはその反省の上にあると思えば筋が通るのか」
「永遠のジュラのリベンジマッチが2として結実したと思うと、勝負は永遠のジュラから既に始まっていたことになる」
「なるほど」
「実は、2のテレサはジュラのイメージのリベンジだとすると筋が通る」
「そうか。服を着ているし、あまりにもさらばのテレサとイメージが違いすぎるものね」
「スターシャよりも若い女性であるという点も共通している」
「そうか。さらばのテレサと同じテレサだと思うと若いことは当たり前に思えるけど、ジュラのイメージだと母ではなく娘だね」
「2のテレサとズォーダーに血縁関係はないがデスラーとジュラには血縁関係がある。そして、2のテレサとズォーダーには好敵手と言えるぐらい身体を張って戦える根性の入ったリーダーという共通の資質がある」
「そうか、さらばのテレサは反物質の身体で一緒に行くだけで、別に惑星を吹っ飛ばして白色彗星の進路を変えるような根性はないね」
「一応、映画のTVリメイクという体裁だから同じ名前で同じような立場で出てくるけど、声優も違うし別人と思うべきなのだろう。それぐらい違いすぎる」
「なるほど」
「更に、地球まで追いかけてくる点も似ているしね」
「そうか。ジュラもテレサもヤマトを追いかけてきているのか」
「テレザリアムという建物があるのも、永遠のジュラ的な描写かもしれない」
「さらばの時は建物は無かったものね」
「洞窟に幽閉されているだけだ。しかも全裸で」
オマケ §
「そういえば、永遠のジュラといえば、ゲームになっているようだがそれは未プレイだ」
「そうなの?」
「というか、PS2のゲームは黒色星団編が全部未プレイなんだ」
「さらば/2まではやったの?」
「分岐前に保存して両方を結末までプレイしたよ」
「なるほど」
「でも今なら分かるな。さらばと2は、結末が分岐するような話ではなく、最初から最後まで別物なんだ」