「9月になってしまったよ、おいどうなってるんだ」
「いやー、ネタが尽きるはずだったんだけどな」
「どうして尽きなかったの?」
「理由は、やはりヤマトは終わっていなかったという点にある」
「というと?」
「実写版の存在感が予想以上に大きい。映画館に行くと必ず予告編等でヤマトに会える」
「なるほど。そこで燃料が追加されたわけだね」
「しかも、場合によっては鷹の爪のヤマト宣伝と、映画そのものの宣伝の2本が入ることすらある」
「確かに存在感が大きいね」
「でも徐々に判ってきたよ」
「何が?」
「東宝はヤマトや鷹の爪を売りたい。松竹はガンダムやハッチを売りたいのだろう」
「系列が違うってことだね」
「だからさ。府中のシネコンに通ったのは意図せずして正解」
「TOHOシネマズは東宝系だね」
「だから、ガンダムの宣伝は入らないがヤマトは入る」
「なるほど」
「おかげで、他の映画を見に行くたびにヤマト成分が補給され、なんとなく続いてしまったというわけさ。はっはっは」
「それで今後の見通しはどうだい?」
「10月1日まで続くかは微妙だな」
「だいたいそのあたりでネタが尽きてくるというわけだね」
余談 §
「余談だけどさ。ヒーローマンってあるじゃない」
「うん」
「あれを見てると、悪ってのは何かと考えさせられる」
「というと?」
「宇宙からの侵略者が居ない時の方がずっと面白い」
「どういうこと?」
「子供がばったばったと敵をなぎ倒す話が空虚すぎるということなんだろう」
「ヒロインの兄ちゃんが若気の過ちで変な身体になって家を出ちゃう話の方がずっと感情移入できるし面白いってことだね」
「ヒーローマンそのものも、目で語るヒーローなんだよね。明らかに、敵を倒すヒーローマンより、目で語る無言のヒーローマンの方がいい」
「で、それがどうしたの?」
「結局ヤマトの基本もそこなんだよ」
「というと?」
「艦内で誰と誰が、どういう会話を交わしたかが実は最重要であり、敵の存在価値はそれほど大きなものではない。いや艦外の味方すらもだ」
「どういうこと?」
「だから、新たなる旅立ちでカットされるのは、波動砲で星を破壊しようとしたら謎の敵が破壊しちゃったというシーンになるんだ。あれが無いとシナリオが整合しないがカットされる。なぜなら、敵の存在意義は2次的なものに過ぎないからカットできるんだ。でも、ランチが転覆するシーンはカットできない。パンツ1枚で艦内を走るシーンもカットできない」
余談2・ダメなアンチ論 §
「思いついたからついでに書いておく」
「なんだい?」
「映画というのは、基本的に娯楽だ」
「うん」
「嗜好品であり、好き嫌いがあって当たり前だ」
「恋愛ものは苦手とか、スプラッタ好きとか、人それぞれだね」
「うん。だからさ、ヤマトが好きっていうのもそういう文脈で捉える必要がある」
「というと?」
「ヤマトブームの頃さ。クラスの誰もがヤマトを見たことがあるという特異的な状況があったわけだ」
「ヤマトで盛り上がった時期だね」
「でもさ。そこで野球部のかっこいいクラスメートがおいらに、でも何が面白いのか分からないと言われてホッとした」
「怒ったのではなく、ホッとしたのか」
「そりゃそうだ。誰でも分かるとはとうてい思えないからね」
「それで?」
「それを前提として話を始めよう」
「うん、ここからが本題だね」
「メジャーなものにはアンチが必ず出てくる」
「ヤマト叩きとか珍しくもないしね」
「ジブリとかも同じさ。盛大に叩かれる」
「それで?」
「では、なぜ叩くのだろうか」
「そうだね。なぜだろう。フィクションを叩いたってそれで世の中が変わるわけではないのに」
「まず、一般論として映画が面白くないという事態はあり得る。世の中の大多数が面白いと認めた映画が面白くないこともあり得る」
「映画とは嗜好品だからだね。好き嫌いがあって当然」
「その点で、実は好き嫌い無く何でも食べられることは才能であり、好ましい特質と思われるがそれは本論ではないので除外しよう」
「うん」
「では、映画が趣味に合わなかったが、世間の評価が良いときはどうしたら良いだろうか」
「銀行の残高を確認する」「生肉を食う」
「ぶぶーっ」
「っていうか、別にすることは無いんじゃない? 次からそういう映画は避けておこうと思うだけで何もアクションを起こさないのが普通じゃないか? 単に選択を失敗したと思って反省するだけだろう?」
「たかが映画だもんね。それ以上の意欲は普通は起きないだろう。普通ならね」
「すると普通じゃない出来事が起きているのかい?」
「そうだ。空想と現実の区別が付かない精神的に未熟な層は、ここで切れる」
「そういうのはネットにいっぱいいるね」
「でも本人は分かってないよ」
「誰かに踊らされて夢を見ているだけだと分かってないわけだね」
「問題は、この映画の面白さが分からない僕の精神的な危機として出てくる」
「なるほど。危機だから反撃するわけだね」
「そうだ。だから、『この映画の面白さが分からない僕』という問題は存在せず、『この映画は面白くない』と主張したがる」
「なるほど。『この映画は面白くない』のであれば、『この映画の面白さが分からない僕』は逆にそれを見抜いた優秀な僕ということになるのだね」
「むしろ、世間一般の方がバカだと言うことすらできるようになる」
「なるほど。それがアンチのメカニズムか」
「しかし、このシステムはおおむね上手く機能しない」
「というと?」
「実は、『この映画は面白くない』という証明は不可能だからだ」
「どうして?」
「理由は2つある」
「1つめは?」
「既に述べた通り映画は嗜好品だから感想に個人差があるのはあたり前だからだ。いや特定個人ですら見た時期や状況次第でいくらでも感想が変わる」
「そうか。少数派がつまらないと思っても、それは予期された範囲内ということだね」
「そうだ。あるいは多数派がつまらないと主張した映画が面白いことすらあるぞ」
「2つめは?」
「実は、証明しようとする者はたいてい未熟すぎるからだ」
「ええっ?」
「そもそも、たかが映画で熱くなる時点で未熟すぎるとも言えるが、実際に言うことを聞いていると、そもそも映画が解釈できていないので主張がおかしくなっている場合が多い」
「そうなの?」
「だからさ。いくら映画が表現して分かるようになっていても、それを見ない奴には永遠に届かないんだよ。馬を川に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできないんだ」
「なるほど」
「特によくできた映画であればあるほど、言葉で分かりやすく説明させないで状況や視線や表情で演技させてしまうのだが、こういう間接表現は未熟な者にはからきし弱い」
「しょうがないよね。経験が少ないとあからさまでも読み取れない」
「うん。だから、明らかに誰にでも分かるような伏線を見落として、その結果として話がおかしいと叩くような行為は実は周囲の者達をかえって白けさせる」
「優秀な僕をアピールしようとして逆効果ということだね」
「うん。そんな自称ヤマトファンとか自称ジブリファンを山ほど見てきたぞ」
「それでもファンと自称するわけ?」
「うん。そこは矛盾しているようで、実は矛盾していない」
「叩く相手なのにファンになれるの?」
「そうだ。なぜなら、叩くという行為で自分の立場を明確にできるわけで、そこで叩く対象に依存しているわけだ」
「そうか。だから、世間で有名なヤマトやジブリだから、叩くの便利というわけだね」
「そうだ。自分の立場を明確にするために何かを叩きたい未熟者は、できるだけメジャーで叩いても壊れない対象を必要とする。結果としてヤマトは1回壊れちゃったけどね」
「ジブリも、実際は壊された後で復旧した存在と言えるのかもね」
「しかし、ここで本当に問題になっているのは、やはり逆効果という点にある」
「優秀な僕をアピールしようとしてかえって僕は未熟ですと宣伝するようなものだね」
「そうだ。自分の優秀さをアピールする行為はたいていすべるが、これもそうだ」
「なぜ、それはすべるんだろう」
「さあね」
「そこは投げやりだね」
「うん。理屈はあるけど、本題と関係ないから割愛」
「本題はあくまで『逆効果』だね」
「そもそも作品を批評するという行為は、実はそれを通して批評者自身が批評される極めて危険な行為なんだよ。あえて、その危険を飲んだものだけが評論家になれる」
「一見、誰でもやれそうに見えるけどね。映画を見て批判文を書くだけだ」
「でも、批判文を書いてもゴールではない。批判文も批判されるわけだ」
「君はどうなんだい?」
「うん。一応はその危険を飲んだ上で書いているつもりだよ」
「こいつ馬鹿と思われる可能性を意識した上で書いているということだね」
「うん。批判文は批判の対象になるからね」
「馬鹿と思われてもいいの?」
「どうせおいらはヤマト馬鹿。70mm版完結編を劇場で見てるし、2520のLDも既刊分全部持ってる。ロマンアルバムは当時リアルタイムで買った初版だ」