「何となく見えてきたぞ」
「偽装のメカニズムが?」
「そうだ」
「でも、没にした」
「話してくれよ。そんなことを言わずにさ」
「えーっ。めんどい」
「たのむよ」
「じゃあ、ただの仮説で、根拠も定かではない、いい加減な話として聞いてくれよ」
「分かった。他のみんなもマジに怒っちゃダメだぞ。いいね?」
ただの仮説 §
「否定的な側面をかなり含む典型的なヤマト復活編に関する語りは以下のようなパターンに収束できるような気がする」
- 自分がヤマトの理解者であるとアピールする
- 違和感の表明
- 微妙に関係ないことを語る
「たとえば?」
「めんどくさいから引用はパスする」
「敵を作るからパスをしたい?」
「いちいちブックマークしてる訳じゃないので、あらためて検索して探すの面倒だし、見つかるという保証もない。しかもすぐ見つかる1つや2つでは典型的という証拠には弱い」
「分かった。手間が掛かりすぎるのね。話を進めてよ」
「うん。このパターンは何を意味しているかというと、実は以下の2点だ」
- ヤマトを否定したいが否定できない
- ヤマトを語れないので、何も表明できない
「えっと。ちょっとまって。ヤマトを否定したいの?」
「そうだ」
「でも、ヤマトの理解者であるとアピールするんでしょ?」
「うん。そこがトリックだ」
「えっ? トリックなの?」
「だからさ。このパターンは、ヤマトから、おまえら馬鹿だろ、というメッセージを受け取った者達が起こす典型的リアクションなんだ」
「ええっ?」
「馬鹿だろ、と言われて面白いわけがないから何か言い返したいわけだ。しかし、うかつなことを言えばかえって馬鹿であるとアピールしかねない。意外と年長者に、昔はヤマトファンだったという人も多いからね。彼らを含む世間から白い目では見られたくはない。そこで、ヤマトの理解者があえて苦言を呈するという形式を取りたがる。ヤマトをそのまま否定すると角が立つけど、ヤマトを肯定するという文脈の中で意見するなら角が立ちにくい。正当な建設的批判と見て貰える確率が跳ね上がる。ヤマトに意見できる自分はヤマト以上ともアピールできる」
「ちょっとまってくれ。かなり屈折した構造だぞ、それは」
「そうだ。かなり屈折しているから把握に時間が掛かった」
「それで?」
「もちろん、彼らはヤマトファンなどではない。アンチだ。西崎さんからダメ出しをくらった30代40代の可能性が高いだろうが、それ以前にヤマトという作品からおまえらダメと言われた可能性が高い」
「え? そうなの? ヤマトでそんなこと言っていた?」
「そんなメッセージは存在しないが、ヤマトという作品の表現が特定の受け手の中でそのようなメッセージを生成してしまうのだろう」
「そうか。見る人が見ると、そういうメッセージが見えてしまうのか」
「うん。だからおいらが見ても見えないよ。そんなメッセージ」
「彼らからは見えると」
「うん。だからさ。戦闘シーンが凝りすぎて良くないとかほとんど意味のないことを言って話をずらしていくわけだ」
「それが、彼らは語れないってことだね」
「だからさ。もともと存在しないメッセージが見えてしまうということは、まっとうな映画語りがそもそもできない連中なんだよ」
「そもそも映画を見る力が無いってことだね」
「それは、ヤマトではなくガンダムの映画を見ても同じことだ。そういう連中が無理をして語ろうとしても語れない。語れないからどんどん話がずれていく。批判しているようで、話がおかしな方向にずれていくから批判も成立していない」
「ああ。やっと分かった。つまり、あまり賢いとは言えない人が、馬鹿と言われて反論したいけど、馬鹿なので上手く反論できないわけだね?」
「うん。でもさ。実際は、馬鹿と言われてはいないんだ。馬鹿であることにコンプレックスがあるから、そう聞こえてしまうだけなんだよ」
「独り相撲か。なんか深い問題だね」
「うん。かなり根深いぞ」
「処方箋はないの?」
「ある。要するに人間というのは、自分が馬鹿であると知っている馬鹿と、それが分かっていない馬鹿の2種類しかいないのだ。自分が馬鹿であると知っていれば、馬鹿と言われても怒りはしない。身構えることもない。身構えなければ、ありもしないメッセージは見えない。楽しくヤマトを見られる。以上だ」
「簡単だね」
「でも無理。そういう連中は、賢い僕を褒めて欲しいんだよ」
「そうか。典型的な賢いつもりの僕の問題か」
「うん。要するに大人になっていないんだ。精神的な意味での去勢の否認ってことだ」
「じゃあ、対応としてはどうする気?」
「何をごちゃごちゃ言ったとしても、受け流して相手にしないのが吉だろう」
「いちいち反論や訂正はしないってことだね」
オマケ §
「この話は、ヤマト批判に限定されない」
「というと?」
「実は、正当に評価されずにおかしな批判を受けるアニメはけして少なくはない」
「実はヤマト批判を通り越して、アニメファン批判にまで直結していく話題かい?」
「そうかもしれないな。まあ、今となってはどうでもいいことだけど」
「え? どうでもいいの?」
「アニメファンという人種はおそらく実際には絶滅危惧種であり、アニメファンと自称他称される連中は実際には声優ファンでしかないだろう、という認識を持ってしまうとね。もう、ほとんどいないはずの人種を批判しても意味がない」
「声優ファンは批判しないの?」
「めんどくさいからパス」
オマケ2 §
「で、君は自分がバカだと知っている馬鹿なの? それとも他人の馬鹿を見抜けるほど賢いの?」
「もちろん、おいらは馬鹿に決まっておる。いちいち普段は言わんけどね」
「馬鹿とは言わんのね」
「略して言わんの馬鹿」
「なんか違うぞ」
オマケIII §
「映画を見る力って何だろう」
「たとえばさ。耳をすませばってあるだろう?」
「うん」
「あの映画でぼろぼろになって小説を書く主人公や、イタリアに職人志望として留学してしまう少年が出てくるけどさ」
「うん」
「あれは2人ともダメな子供なんだよ。背伸びしすぎだし、周囲から歓迎はされていない」
「そうだね。まともに応援してくれるのは地球屋の爺さんぐらいだね」
「その爺さんも当てにならない。無責任に言いたいこと言ってるだけだ」
「ははは」
「だからさ。あの映画の本質は間違った方向に体当たりして負けちゃいました、という映画なんだ」
「うん」
「でもさ。映画を見る力がないとは、あの映画からまるで違った印象が来てしまう」
「どういうこと?」
「主人公のようにぼろぼろになるまで小説も書かず、イタリアにも行かない君たちは、あるべき若者として失格だよ」
「ええっ? だって、小説書かない方が周囲から歓迎されてるんだろう? イタリア行かない方が歓迎されているんだろう?」
「子供があるべき道は、明らかに彼らのようにレールから外れて生きる道ではない。そのことは映画内でもきちんと描かれている」
「なるほど」
「強いて言えば、しがない無個性なサラリーマンになるより職人として生きる方が価値があるよ、ってメッセージ性はあるかもしれない。あるいは、レールから外れて体当たりして負けろ、というメッセージ性はあるかもしれない」
「雫や聖司のように生きろ、ではなく、何にでも体当たりして失敗して見せろ、てことだね」
「うん。自分の矮小さを思い知って見せろということだ。けして凄い小説を書けとか、バイオリン職人になれという話ではない」
「そうなの?」
「だから既に自分の矮小さを思い知った敗者である周囲の人たちは、当初反対するがそのあとで応援してくれる。言って止まるものではないと身をもって知っているからだ。自分もそうだったからね」
「身に覚えの1つや2つあるってことだね」
「それが大人ってことだ」
「なのにそれが読み取れないわけ?」
「そうだ。読み取れていない人がけっこういるらしい」
「そうか。それを読み取る力が映画を見る力ってことか」
オマケ復活編 §
「というわけで、この原稿を書いた後、公開するまでの間にまた同じパターンに遭遇して愕然としてしまった」
「えっ?」
「あまりにも、ここに書いたパターン通りなので驚いた」
「そんなに?」
「いや本当に、相手が、ヤマトを話題にしていたはずが微妙に関係ないことを語り始めたときは、本当に驚いたよ。まさにこのパターンそのものさ」
「ははは」
「笑い事ではない。適当に、こんなもんかな、とまとめた文章が思った以上にあたりだったんだぞ」
「そういうときには踊ってしまえ」