今となってはけっこう古い本ですが、「文明の多系史観―世界史再解釈の試み」村上 泰亮著という本が転がってたりするので、ちらりと見てハッとしました。
私は四年前、佐藤誠三郎。公文俊平氏と共に、戦後日本の歴史を次の三つの局面に細分化して考えたことがある。その主旨を要約すると、
- 第一期 戦争終了から一九六〇年までーー戦争直後の混乱と模索と復旧の時期。思想活動の主流は、日本の後進性を批判する戦後進歩派エリート知識人たちの「観念論= 理想主義(アイデアリズム)」である。安保闘争の挫折(一九六〇年)がこの期の終りを告げる。
- 第二期 一九五〇年代の終りから一九七〇年代の初めまでーー神武景気に始まる高度経済成長期。とくにみるべき思想の登場はないが、近代経済学・行動科学・GNP・技術革新・情報化・未来学などの象徴する「機能主義(ファンクショナリズム)」がこの時期の雰囲気となる。大学紛争(一九六八年~)、公害反対運動(一九六九年~)、ニクソン・ショック(一九七一年)がこの期の終了を示す。
- 第三期 一九七〇年代初頭以降ーー世界的な先進国間題の多発と、追いつき型近代化の終了とによって、方向喪失の感覚が強まる。さまざまな思想の試みが現れるが、いずれが主流の方向となるかはいささかも明らかでない。
つまりですね。この分類で言う第三期のタイミングそのものに1974年のヤマトがジャストミートするわけです。第一期と第二期の境界はまだ生まれていないのではっきりと分かりませんが、何となく第二期と第三期の境界は分かります。というか、そういう境界そのものの上に成長して来た気がします。
実際、中学生時代に、1つ上の世代はまだ学生運動の空気が残っていましたが、1つ下の世代は皆無でした。人の差や地域差もあるとはいえ、これは意味がある相違なのかも。
従って §
方向喪失の時代にあって、原点回帰という形で方向を示したのがヤマトであったと言えるかもしれません。それに対して、内容が多岐に拡散してしまったガ○ダムは方向性を示しているとは言えません。いや、ロボットのコクピットという個室に閉じこもって大活躍する天才という甘美な幻想にひたすら浸れという思想性は一貫しているのかな?
いずれにしても、日本の滅びが始まったのは、1970年代初期と考えて良さそうです。そのことが全く別の角度からも見えてきました。やはり、そのタイミングでヤマトが生まれることも必然だったわけですね。