「魔法少女の話をしよう」
「何を語り始めるのだ。ヤマトと関係するのかい?」
「そうそう」
「じゃあ、どこから始める?」
東映魔女っ子 §
「東映魔女っ子というのは、魔法使いサリーから始まる一連のシリーズだ。特徴は以下の通りだ」
- 魔法の自由度が高い・仮に変身に特化している場合でも変身できる対象は複数ある
- 変身できる場合もあるが、変身は必須ではない
- 魔法ではなくサイボーグや忍者という位置づけもある
- 魔法は、既に持っている少女が来る場合もあるし、そこにいる少女に贈与される場合もある
ぴえろ魔法少女 §
「もう1つの特徴的なのがクリーミィマミ以降のぴえろ魔法少女シリーズだ。特徴は以下の通りだ」
- 魔法の自由度が低い。ほぼ全てのケースで変身しかできず、しかも変身する対象が1種類
- 魔法の機能はほぼ全てのケースで変身のみである
- 魔法の位置づけは魔法である
- 魔法は贈与である
戦闘魔法少女 §
「その後に来るのが、これだ。セーラームーンに代表される戦闘のために変身する系列だ。特徴は以下の通り。戦闘という目的を除外すると、上記2系列の折衷であることが分かる」
- 魔法の自由度が低い。ほぼ全てのケースで変身しかできず、しかも変身する対象が1種類(ないし限定された数種類)
- 魔法の機能はほぼ全てのケースで戦士への変身のみである
- 魔法の位置づけは魔法である
- 魔法は、既に持っている少女が来る場合もあるし、そこにいる少女に贈与される場合もある
「しかし、このパターンは戦闘という側面を追加したほかは目新しさがなく、ここでは除外しても良いと思う」
狭間の問題 §
「というわけで、問題はひたすら東映魔女っ子とぴえろ魔法少女の中間領域だ。クリーミィマミは突然生まれたわけではない。ミッシングリンクとなる作品は何か。注目すべきは、ひたすらその問題に限定されてくる」
「新しい方向には何も出てこないのかい?」
「新しい方向には、古いパターンの折衷しか出てこないからね。新しさがない」
「新しいのに新しさがないのか」
「では話を続けよう。東映魔女っ子とぴえろ魔法少女の中間領域にある作品は何かといえば、おそらくミンキーモモというタイトルを多くのマニアが想定すると思う。この認識は間違いではない」
「どうして?」
「実はミンキーモモは成功したが続けられなくなって、代わりに生まれたのがマミだからだ。だから、実際にはぴえろ魔法少女の事実上の始祖はミンキーモモに位置づけられる。ぴえろ制作ではないから始祖に数えられないだけだ」
「そうか」
「しかし、ミンキーモモは実際にはぴえろ魔法少女とは異なり、異なる職業の大人に変身できるという特異性があり、ぴえろ魔法少女の特徴を満たさない。中間領域にある作品と言える」
「そうか。始祖鳥的な中間的な存在なのだね」
「が、しかし、実はここでもう1つの名前をあげねばならない」
「えっ?」
「たぶん、魔法少女マニアのほとんどがノーマークではないかと思う」
「それはなんだい?」
「魔法を使うのかい?」
「いいや使わない。しかし、ノリ的には既に東映魔女っ子的な予定調和世界観を壊す方向性が明確に出ていた。ここから、ぴえろ魔法少女への道は始まったのだと思う。というか、ハニーハニーのすてきな冒険は本放送当時好きでよく見ていた」
「おっと」
「だから、これはもっと大きな女児向けアニメの歴史の部分集合としての魔法少女を見ないと見えてこない。サリーちゃんとマミを知っているぐらいで語れる世界じゃないと思うけど、まあそれはいいや」
「いいのか」
「いいよ。本題じゃないから」
「じゃあ、本題って何?」
「実は、気付いてしまったんだ。ヤマトファンの集いのパンフに書いてあった白土武さんの経歴に、この名前があったのを」
「えっ?」
「ハニーハニーのすてきな冒険のスタッフリストから引用」
- チーフディレクター:しらとたけし(白土武)、新田義方
「な、なんだって?」
「だからさ、ヤマトにおける白土武の重要度の再検証という作業を始めたら、いきなり魔法少女世界の再検証にまで手が広がってしまったのだ。というかそれすら超えて女児向けアニメにまで話が行きそうだ」
「わはははは。広がりすぎ」
であるから §
「このことは、実は面白くあるために変身という要素は不必要であることを示す。魔法も必須ではない。女王陛下のプティアンジェのように、ただ魔法もなく変身もない作品で成立するのだ」
「そうだね」
「だからさ。BD7の少年探偵団では、変身という要素は怪人二十面相が正体を現すエフェクトとして使われるわけだ。明智くんも小林少年も変身する必要なんて無いんだ」
「そうか」
「名探偵コナンでも、実は毛利小五郎の声で喋るコナンは一種の変身なのだが、実際に変身するわけではない。眠らせて変声機で喋るだけで十分なのだ。本当に変身する必要など全く無い」
「たしかに」
「だから、古代くんはコセイダーに変身しない。波動砲発射口から人間大砲として打ち出されたりはしない。それで十分なんだ。ヤマトも強攻型に変形はしない。それで十分なんだ」
そういう意味では §
「遊☆戯☆王ゼアルは、実は初代遊☆戯☆王マイナス変身なのだ」
「は?」
「どちらも記憶を失ったゲームに強い幽霊が相棒なのだ」
「そうか。アテムとアストラルだね」
「ところが決定的な違いがある」
「どこ?」
「旧遊☆戯☆王では、主人公と交代してアテムが出てくる」
「うん」
「でもゼアルでは、主人公の横にアストラルがいつもいる」
「そこが違うのだね」
「旧遊☆戯☆王は結局、一種の変身なのだ。同じ人間がデュエルになると急に格好良くなる」
「なるほど。別人でも同じ顔だね」
「でもゼアルでは別人なのだ。最初から最後までね」
「なるほど」
「だから、改良版遊☆戯☆王を作ろうとしたとき、まず切り落とされたのが変身という要素かもしれない。ドラマを深化させようと思うなら、それが正しい道だ」
オマケ §
「ヤマトでいうと、暗黒帝国本星の連中は、一種の変身をしたことになる。地球人に偽装したのだ。しかし、これは変身と言うより変装だ」
「うん。メッツラーも一種の変身をしているね」
「でも、これもやはり変装かな」
オマケ2 §
「昔、キャンディ・キャンディのことは話題にしたと思う」
「うん」
「キャンディ・キャンディは魔法を使わないが、基本的に旧世代の女児ものに属する」
「どのへんが古いのかい?」
「いじめられても王子様による救出を夢見るしかないあたりが、思想的に古い」
「本当に?」
「さあ。本当かどうかはワカラン。原作の後半は自立を指向していくしね」
「じゃ、新世代の女児ものは?」
「自力でアクティブに逆境に立ち向かう女を描く」
「旧世代でもそういう作品はあるのじゃないか?」
「限定された範囲内ではな」
「うむむ」
「であるから、キャンディ・キャンディは新世代に脱皮しなければならない。そこでレディ・ジョージィが生まれる必然性があったのだ」
「レディ・ジョージィは新世代なのか」
「問題は、レディ・レディとハロー・レディリンなのだ」
「えっ?」
「レディ・レディはかなり後になって出てきたアニメであるにも関わらず思想的には旧世代に属するように見える。しかし、ハロー・レディリンになると新世代にかなりの割合で属するが、旧世代のアニメの続編であるためか、旧世代の遺伝子も少し引きずってしまう」
「難しいね」
「女児ものは難しいのだ」
「そんなに?」
「だから、新世代の後に新新世代がある」
「えっ?」
「おジャ魔女どれみは新世代に属するが、プリキュアになると新新世代になる」
「新新世代の特徴ってなんだい?」
「新新世代はセーラームーンを始祖とする『お約束としての戦闘』アニメになる」
「新世代も逆境と戦ったわけだろ?」
「新世代は逆境と戦えるが、新新世代は逆境と戦える強さを持っていない。ただ、形式的に出現するご都合主義の敵と戦うだけだ。つまり、強さを模倣しているだけで、本当は強くない」
「ええっ? 本当は強くないの?」
「だから、スーパーセーラームーンになったり、ペガサスに祈ったりすると勝ててしまう。そういう形式で勝てるように用意された敵が相手だからだ」
「むう」
「ただし、セーラームーン自身は、セーラー戦士の仲間ができる前は新新世代ではなく、新世代に属する」
「それはどうして?」
「黒猫やタキシード仮面さまに叱咤激励されても、結局自分でやる以外に手はないところに追い込まれるからだ。そこで戦う強さを持つ必要がある、というのがタキシード仮面さまがうさぎに告げるメッセージなのだ」
「そうか、泣いていても問題は解決しないぞセーラームーン、というのが新世代の特徴なんだね」
「そうだ。より厳密に言うと、旧世代も新世代も新新世代も『泣いていても問題は解決しない』という点では同じだ。しかし解決方法が違う。旧世代は『王子様による救出』が問題を解決してくれる。新世代は『自力で問題の解決』になる。新新世代はそれに気付くとなぜかパワーアップしてれる『ご都合主義』で問題が解決される」
「わははは。ご都合主義か」
「あるいは物語設定の都合上と言ってもいいよ」
「いずれにしても虚構って事だね」
「だから、比較的に広い範囲のファン層を獲得した新世代と違って、新新世代は低年齢の女児とオタクからしか相手にして貰えない」
「だから君は新新世代を相手にしないわけだね」
「うん。プリキュアはほとんど見てない。というかそれ以前にナージャからかな。どれみシリーズは最後まで見てたのに、それ以後のあの枠の女児向けアニメはほとんど見てない」
「では、そこで君の話は終わるだけだね?」
「いやそうじゃない」
「えっ?」
「あえて言おう。新新世代は間違った進化を遂げたが、その背景にはお手本の間違った解釈という問題がある」
「お手本?」
「セーラームーンのお手本はスケバン刑事だ。しかし、アイドルがセーラー服を着て戦う実写ドラマという路線は結局どこにつながるのかというと、マジすか学園につながる」
「えっ?」
「マジすか学園は学内のヤンキーの抗争の話であり、ご都合主義的なやられるための絵に描いたような敵は出てこない。最後の敵が最大の理解者であるような矛盾した世界だ。本来はこれが正統な進化であるはずだった」
「自分に打ち勝つ話を目指すならそうなるはずだ、ということだね」
「そうだ。結局マジすか学園は最終的に自分に打ち勝つ話であった。最後の敵は自分自身であったわけだ」
オマケIII §
「ただ、そう考えていく新世代であっても、本当に新世代に属するか怪しいケースもある」
「というと?」
「たとえば、ミンキーモモと香月舞とどれみは自分の問題を自分で解決した」
「ミンキーモモは人間になるという決断を自分で行って、香月舞は『舞でやる方がおもしろい』と『エミに変身する魔法』を自ら放棄したわけだね。どれみは最後に『私たち魔女になりません』という決断を自分でしたね」
「そうだ。しかし、森沢優やペルシャが同じような意味で自分の問題を解決しているかというと良く分からない。まして、『変身アイテムを無くしてしまう』という方法で能力を失ったファンシーララは本当に自分の力で問題を解決できたといえるのか明確ではない」
「難しいね」
「この話は難しいのだ」
オマケは帰ってきた §
「ヤマトでいうと、森雪の行動はほぼ旧世代に属する」
「王子様の救援を待つしか無い立場だね」
「でも、最終回でこの枠組みをぶち壊す」
「ビーメラ星の時のように古代君の救援に依存せず、放射能除去装置を動かしてしまうわけだね」
「そうだ。死んでしまったが自力で問題は解決した」
「でも、その後はどちらかといえば、旧世代に戻ってしまったよね」
「いちおう、『さらば』では勝手に乗り込むという形で独自性を発揮する。それに、戦場に出かけるあたり佐渡もびっくりの行動力を発揮して最後はデスラーをかばってミルに撃たれてしまう」
「そうか」
「復活編になると、古代の不在を埋めるために自分が第2次船団の司令官になる。行動的でアクティブだ」
「なるほど」
「そうか。森雪というのは旧世代と新世代の境界線上にいる女性であり、その不安定さが魅力なのかもしれない」
「えっ?」
「自力で問題を解決しようとするセイラやマチルダのようなガンダムガールズは、完全に新世代だ。それ故に位置づけは明確であり、いくらマチルダに憧れてもウッディーのものになっちゃう未来は明確で夢を差し込む余地が乏しい。しかし、森雪はそれと違って解釈の余地が多様なのだ」
「夫のために家で待っている賢母というイメージでも、藤堂の秘書としてバリバリ仕事をしているイメージでも、どっちも行けるわけだね」
オマケ復活編 §
「そうか。だから復活編の古代は宇宙にいるのだ」
「えっ?」
「古代雪はアクティブで自分で自分の問題を解決する女性であるがゆえに、古代は宇宙にいられたわけだ」
「なるほど。直接雪を守らなくても良いわけだね」
「逆に言えば、守られる必要が無いからこそ、古代は居場所を排斥されて宇宙に行ったとも言える」
「わははは。パーフェクト・ウーマンと付き合うのは難しいか」
「その難しさが読めていない娘からはダメパパと糾弾されちゃうしね」