「というわけで、昨日のポケモンBW『ダンゴロ!ラスターカノン発射せよ!!』の感想だ」
「それはもういいちゅうの」
「というか、ヤマトの話だ」
「どっちかはっきりせい」
「どっちもおそらく正解」
「は?」
「昨日のポケモンBWは、ダンゴロというポケモンが出てくる」
「それで?」
「このポケモン、六角形の穴が空いていて、そこからラスターキャノンというビームを発射するのだ」
「えっ? 六角形の穴? 波動砲っぽいかないか」
「そして、悪役ロケット団がダンゴロを大量に捕獲して武器にするのだ、エネルギーを充填して撃つのはもちろん、ニャースが『ターゲットスコープを開くのにゃ』といって開くのだ」
「わはは。ターゲットスコープオープンかよ」
というわけで §
「あらため考えると謎だよな」
「何が?」
「波動砲は主に楕円と六角形があるが、細かく見ていくと無数のバリエーションがある」
「アンドロメダは六角形で安定しているよね」
「把握しやすい形状だ」
「ヤマトは曲面が把握しにくいね」
「そうだ。解釈が難しい」
オマケ §
「ネタのディープさという観点でアニメを見ると、実は高年齢層向けだからディープというわけでもない」
「えっ、そうなの?」
「昔はそうでもなかった。14万8千光年を1年以内に往復するには、光の速さを超えねばならない、なんていうこだわりは当時としてはマニアックだった。それが高年齢層向けのヤマトで描かれたのはある意味で必然だ。しかし、最近の傾向を見ているとディープなのはむしろジャリ向けという気がするね」
「そんなに?」
「そもそも、ポケモンの湯山邦彦総監督はかつてゴーショーグンやミンキーモモを手がけた人だ。甘い世界に行くわけが無い。当然だ。ブンドルを監督した人は美しい世界に行くものだ」
「そうか」
「他にも探せばそういう事例は多い」
「どうしてそうなるの?」
「限度を超えたマニアックさは通俗に通じるからだろう。自分はみんなとは違うことをアピールすることを欲するうちはまだまだお子様なのだ。彼らのためにアニメを作っても、結局は身体は大人、頭脳は子供のための子供向けアニメになってしまう。それよりも、一緒に見るお父さんお母さんを意識したジャリ向けの方がずっと大人向けである場合もあるのだ」
「なんか屈折してるね」
「そうだ。世の中は盛大に屈折しておる。わはははは」
オマケ2 §
「しかし、おいらのジャリ向けに対する抵抗感の無さは、実はもっと根深いかもしれない」
「というと?」
「子供の頃から、教育テレビが好きだったからだ。年下向けの教育番組はもとより、子供時代は年上向きすら喜んで見ていた。風邪で休んだ日には、普段見られない番組を見られてハッピーだった」
「それも変な子供だね」
「だからさ。理科の実験や社会の問題などの番組を見ていたから、ヤマトを見る目が育ったのかもよ」
「見る目か」
「そうさ。見る目を育てていないと理解できない面白さってのは確かにあるんだ。でも、特定の狭い世界の従属しない面白さであれば、それを描いて悪い理由もない。あとは見る側の引き出しの多さの問題になる」
「特定の狭い世界に従属したら?」
「いわゆる楽屋落ちってことさ」
オマケ魂 §
「ちなみに、実は銀魂は楽屋落ちに見えて楽屋落ちになっていない」
「ジャンプアニメの内情とか、実名にピーを被せて言い放ってるよ」
「でもさ。あれは計算された演出なんだ」
「どういうこと?」
「ジャンプアニメのぐだぐだパターンは無数に繰り返されている。それは、既に日本においてはかなりの割合の人が分かる世界なんだ。実際は閉じた話題では無い」
「こういう楽屋落ちに見せかけられた演出はけっこう多い」
「そんなに?」
「そもそも、松本先生のみーくんにしても、作品として表出する際は特別な感情があるにせよ、一定の範囲内に落とし込まれてから出てくる。生のままでは出てこない。ヤマトでもみーくんの漫画でもね」
「うーむ」