ある日々のTO|||O 6月8日より
5月23日総作画監督作業、終了。
制作がなかなか物を持って来ず、こんな時期になった。
編集で観やすくなった事。
欠番カットが数シーン復活した事。
(もちろん、修正は入れた)
ラストに新作カットが20ちょっと増えた事。
(メカの新作も多少)
音関係も多少変わった事。
動画の件
動画のチェックをNEOXも私も、一切出来なくなったので無チェック。
大変に心配。
動画の上がりは大切で手を抜けぬ作業。
(ちなみに、イデオン発動篇の人物は、私が全ての動画に直しを入れている)
問いただしたが、何でも金銭関係とか。
制作の社長も演出も苦痛の顔で、申し訳ないと。
どうなることか。
結局、私は原画のチェックで完了。
「DC版、湖川さん、動画にチェック入れられなかったのか」
「ヤシガニの悪夢が来ないことを祈ろう。なむなむ」
「それでNEOXって誰?」
「それは、人じゃない」
「ってことは魔族?」
「そうじゃなくて。湖川さんが属する組織の名前らしい」
「ビーボォーじゃないの?」
「それはかーなーりー昔の話だぞ」
湖川さんネタを続けよう §
「DC版に関する興味深い話題は多いがそれは横に置こう」
「どうして?」
「見たら一発だからだ。もうすぐ見られる」
「それでここでは何を語りたいの?」
「たまたま見た情報で、目から鱗が落ちた」
WikiPediaより
さらにアニメーターの長谷川眞也は、2000年頃のリアル志向のアニメの作画は湖川の流れにあるのではないかと見ている
「これがどうした?」
「現物が無いので勝手に想像して語るが、おそらく線が少なく写実的なキャラクター描写のことを言っているのだろうと思う。一例を挙げるなら細田守監督のデジモン映画とかね。そのへんの話だと思うのだ」
「それで?」
「割と違和感無くその流れは受け入れて自然に見ていた。別に悪いとか間違っているという印象は受けなかった。しかし、思想的に湖川友謙流の表現のその先にある表現だと思えば、自然に受け入れられたのも当然だと分かる」
「そうか」
「なにしろ、安彦キャラの受容はかなり引っかかりを感じたが、湖川キャラは割とすんなり受け入れていたし。土まんじゅう? どんと来いという感じで」
「まんじゅうこわい?」
「土まんじゅうだ。このイノセント野郎。こちとら深夜行列して初日にザブングル グラフィティを見て土まんじゅうのセル画をもらって帰ったんだぞ」
「物好きだね」
「上映を待つ深夜の劇場は、特典でもらったセルの交換会になって、次から次へと交換を持ちかけられた挙げ句、引き取り手の無い土まんじゅうが手元に残ったんだ。文句あるか」
「わははは」
「しかし、話はまだ終わらん」
「えっ?」
「このWikiPediaのページに気になるリンクがあったのだ」
「これがどうしたの?」
「アイレベルだよ」
「それって何?」
「カメラの思想だよ」
「えっ?」
「話を巻き戻そう。3DCGをやっていて思うのだが、ストレートにモデリングをがんばっても手間が掛かる割に得られる印象が少ない」
「うん」
「では、どうするか。絵を少ない手間で活かす方法はカメラとライトの活用にある。あとテクスチャだけど、それは煩雑になるのであえてカット」
「それで?」
「しかし、アニメの世界ではカメラとライトは不得意とされる。だから、アニメの演出家は、3DCGの使い方が下手あることが多い」
「それはなぜだい?」
「アニメは基本的にカメラを自由に動かせないからさ。動かすと背景も全て動画になってしまい、えらく高く付くから動かない前提で演出技法が組み立てられている。背景動画は特別な時だけ使う特別な技法なんだ」
「ライトは?」
「ライトも動かせない。動かすと影が変わって原画から描き直しだからね」
「ひぇ~」
「だから、カメラとライトはアニメでは活用できない鬼門であるわけだ。だから、それを利用しない形で演出技法が発達するが、それは3DCGではぬるくてつまらない絵を作るのと同義語だ」
「それで?」
「だからさ。湖川さんの言うアイレベルというのはカメラそのものなんだよ」
「えっ?」
「だから、アニメ界にあってカメラという思想を持った希有な逸材だったのだよ」
「でも動かせないんだろう?」
「3DCGでいえば、静止画でもカメラの思想を持つことは重要だ」
「えーっ」
「たとえ動かなくても重要だ」
「なるほど」
「それゆえに、さらば宇宙戦艦ヤマトの絵は少し他のヤマトと違う。たとえば、おいらが最もさらば宇宙戦艦ヤマトで印象的に残るカットは何かというと、都市帝国の回転砲台から下にいるヤマトに射撃するところ。このカットは、実は非常に特異的なんだ。ヤマトが遠くにいる異物として描かれている。完全に都市帝国側にカメラがあるカットなんだ。凡庸なセンスで作画するとおそらく撃たれるヤマトを記号的に描くだろうが、このカットはヤマトを撃つカットになっている。カメラがどこにあって何を写しているのかという思想が明確なら、カメラはどこにでも持って行ける。そして、それが演出になり、絵の外連味になる」
「えーっ」
「だから復活編でも敵戦闘機のコクピット内という絵があるが、発想は同じだ」
「あれも湖川さんだからね」
「更に言えば、復活編をやれるのは湖川さんしかいない、ということも良く分かる。3DCGとの完全融合はカメラの思想が無い人間にはできない。記号的な描写では上手く絵が噛み合わないからだ」
炎のオマケローゼ §
「どうでもいい余談を付け加えるぞ」
「なんだい?」
「昔、炎のアルペンローゼというアニメがあってねえ。凄かったよ」
「どの辺が凄いの?」
「ストーリー展開が怒濤のようだし、音楽は今や宮崎アニメでお馴染みの久石譲。しかも、このアニメのためにオーストリア交響曲という架空のシンフォニーまで作って演奏しちゃう。しかし、サントラも2枚目はもう壮絶の一言。久石ファンなら知らなかったら嘘だろうというぐらい。娘が弾いているピアノ曲とかもあるし」
「それで?」
「ナチスドイツへのレジスタンス活動の話なのだが、そこで反ナチスの歌というものがある。そして、オーストリア交響曲の最後にそのメロティーを占領下のオーストリアで演奏しちゃうのだ。何も事情を知らない美形のナチス将校はいい曲だとか聞いているが、隣にいる奴がいろめきたつ。面白かったねえ」
「それがこの話と何の関係があるの?」
「実は、炎のアルペンローゼにはもう1つ突出した印象があった」
「なんだそれは?」
「絵が凄く綺麗。さらば宇宙戦艦ヤマトと同じような印象だね」
「それで?」
「WikiPedia見てたらこれも湖川さんの仕事だったのだよ。湖川キャラじゃないので、今まで見落としてた」
WikiPediaより
その後番組『機動戦士Ζガンダム』は既に独立した北爪宏幸らに任せ参加せず、主宰するビーボォーのメンバーを引き連れて、古巣タツノコプロで『超時空騎団サザンクロス』『よろしくメカドック』『炎のアルペンローゼ』の作画を引き受ける[2]。
「ひぇ~」
「うん。だからさ。だんだん分かってきた」
「何が?」
「湖川さん天才だから、埃っぽい世界を描けと言われると描ける。だから、ザブングルからは凄く綺麗という印象は出てこない。あれは埃っぽい。そういう世界だから」
「うん」
「でもさ。原作が少女漫画だったり、埃にまみれない宇宙戦闘ならいくらでも綺麗な絵にできる」
「なるほど。状況に応じて出せる引き出しが多いわけだね」
「それもまた傑出した才能というべきだろうな」
オマケ・煽りの問題 §
「そうか! 分かったぞ!」
「なんだい?」
「3DCGの世界では『見えないところは作り込む必要は無い』のだ」
「それってどういうこと?」
「必要な絵が得られればそれでいいわけだ。たとえば、ヤマトの絵を3DCGで1枚作るとしよう。その際、構図は正面下方から見上げるパースとしよう。その場合、波動エンジンの噴射口の内側は作り込む必要は無い」
「そうか。見えないからだね」
「同じように甲板も何もしなくていい」
「そこも見えないからね」
「光が反射して映り込む場合、直接見えなくても作った方がいい場合もあるのだけどね。まあそれはさておき。ヤマトは反射しないつや消し塗装だろうからまあいいだろう」
「うん」
「そこで、見えないはずの反対側の耳も描いてしまうのが記号的な表現なら、見えない以上描かなくていいと思うのが写実的なカメラのある思想だ」
「それで?」
「ならば、カメラの思想を持つ湖川さんが煽りの構図で有名になってしまうのはある意味で必然といえる」
「どうして?」
「カメラを極端な位置に設定すると、とても印象的な絵になる。しかし、上にずらすと身体まで見えて描くものが増える。だから、描くものを減らしてかつ印象的な絵を得ようとするなら『煽り』の構図になるしかない」
「そうか。下から見たら身体は見えないわけだね。見えるのは天井だけ」
「その結果、湖川キャラの必殺技が煽りになるわけだ」
オマケ・煽りの問題2 §
「必要な絵が得られればそれでいいわけだ。たとえば、ヤマトの絵を3DCGで1枚作るとしよう。その際、構図は正面下方から見上げるパースとしよう」
「それって煽りの構図そのものだよ」
「ぎゃふん」
オマケIII §
「書き込んですぐ気付いた」
「なに?」
「湖川友謙オフィシャルブログのタイトルの下に『光と闇との中間に友謙』と書いてある」
「それがどうした?」
「光と闇って、これはライトの思想だよ」
「ひぇ~」