「用事が詰め込まれて切れたので、カウボーイ&エイリアンを見てきたよ」
「カウボーイとエイリアンって、イロモノ映画ってことかい?」
「まあな」
「どう解釈したらいいんだい?」
「昔さ、1000年女王という映画があったけど、あれは零戦で宇宙からの侵略者に立ち向かったわけだけど、それのアメリカ版と思えばいいな」
「結局、面白かったのかい?」
「うん。面白かったぞ。凄く」
「へぇ。イロモノ感が?」
「いや、そうじゃない。映画としてストレートなんだ」
「えっ?」
「だからさ。この映画は既存の価値観を解体して第3の価値観を創出する映画なんだよ」
「えー。そんな高尚な映画には思えないよ」
「新しい価値観とは高尚じゃないものさ」
「そんなあ」
「ネットには以下のような意見もあるようだ」
「君は違うと思うの?」
「そうだ。映画の見方を根本的に間違っている。この映画が提供していないものを見にいって、それが提供されないことに怒っているのだが、そんなの最初から当たり前だ。ミッキーマウスに星飛雄馬が出てないと怒るようなものだ」
中身とは §
「説明してくれよ。この映画は何を提供しているのだい?」
「この映画のもう1人の主人公は、街を牛耳る大佐だ。インデアン相手に軍隊で闘った経験があり、1人息子を溺愛し、街を支配して恐れられている。順当に行けば、主人公はこいつと戦うわけだがそうはならない。西部劇的な価値観が解体されてしまうからだ。それから、徹底的に西部アメリカ人の視点から宇宙人が描かれることで、SF映画的な価値観も解体される。彼らは何者なのかという疑問は十分に説明されない。外敵を追い出して土地を守ったというだけで、彼らには十分なのだ」
「結局、この映画で描いてることは何なんだよ」
「敵対していた異質な他者と糾合して相手を理解することだ。エイリアン以外の全ての雑多な勢力が1つにまとまって、目標に進める」
「それは昔には無かった価値観ということだね」
「グローバル化して人間は協力して共存しなければならない今日的な価値観だ」
ぐだぐだ §
「主人公はいきなり見知らぬ他人を殺して服や銃を奪う。とんでもない奴だ」
「酷い奴だね」
「それでもついて行ける観客だけが入れる世界かもしれない」
「わははは」
「あと、問題は大佐だな。この男は、息子が本当にダメな奴で、息子に苦労していることが分かる。軍隊でも苦労したらしい。力で脅しても問題は解決せず、価値観の転換を迫られる。薄汚い盗賊やインデアン野郎にまで助力を請わねばならないが、彼らは実際に付き合ってみれば悪とも言い切れない連中なのだ」
「そのぐだぐだがいいわけだね」
「そうだ。そこが映画のポイントだろう」
まとめ §
「結局どういうこと?」
「だから、21世紀の映画なんだよ。21世紀の価値観で作られて、21世紀の観客にメッセージを投げかけるようにできている。20世紀の古びた西部劇やSF映画の価値観を期待しても出てくるわけが無い。そこで描かれるのは別のものなんだよ」