「おいらの死んだ父は鉄道模型マニアであった」
「それで?」
「元はOゲージをやっていたが、16番にシフトしてNゲージもやったが、Nゲージの初期の時代が自分の子ども時代であった。だから日本初のNゲージのメーカーであった関水金属の製品はいくつも持っていた。キハ20とか、カニ21とか」
「それで?」
「関水金属の本社とショールームは微妙に行きにくい落合方面にあったので、かなり長い間行ったことが無い。うろ覚えだが結局生涯で1回しか行ったことがない」
「そうか」
「それはさておき、山﨑記念 中野区立歴史民俗資料館というのは、23区の歴史資料館巡りを思い立った時に存在を知り、その過程で最初に訪問した。しかし、行った回数は2~3回だろう」
「これも遠いわけだよね」
「そう。微妙に遠い。何しろ、電車で行くなら西武新宿線なので、新宿で面倒な乗り換えが必要だ」
「ところで、関係ない話を2つも長々とやって何が言いたいわけ?」
「実は気づいてしまったのだ」
「何を?」
「哲学堂公園と野方給水道の間の道。あれを西に行くと数百メートルで山﨑記念 中野区立歴史民俗資料館。逆に哲学堂公園から裏道を東に向かうと数百メートルで関水金属のショールーム」
「えっ?」
「だから、体感的にかなり遠いと思ったこの2つの場所、実は遠くなかったのだ。しかも相互に遠くなかった」
「まさか」
「山﨑記念 中野区立歴史民俗資料館と哲学堂公園は降りる駅が違ったので、近いことを見落とした。哲学堂公園と関水金属は地名が違うので近いことを見落とした」
「つまり?」
「山﨑記念 中野区立歴史民俗資料館と哲学堂公園と野方給水塔と関水金属はかなり近い範囲に固まっていて、しかも自転車射程圏内だったのだ」
「バラバラだった行き先が相互に結びついてきたね」