Subject: ヤマト2199「追憶の航海」の新作カットは本当に新作なのか?
Keyword: 【▲→トーノZERO→アニメ感想→宇宙戦艦ヤマト】
URL: http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20141018093521
名前: めとろん
トーノ様 こんばんは。
追憶の航海、オーディオ・コメンタリーで「演出は引き算」発言ありましたね!
「役者・声優さんは足し算だけれども、演出は引き算である」
含蓄のあるコメントでした。ただ、あまり削ぎ落とし過ぎても映画に「潤い」が無くなるので苦心したという話もありました。
追憶の航海ではこの「潤い」こそが、メルダとの邂逅や伊東の乱、ギムレーの傍若無人や、かなり割愛されてますがエリーサの屈折なのかもしれません。
ところで、追憶の航海は「ヤマト初見の人」向けには如何なものかという意見が多いようですね。
もちろん今さら私も「初見」にはなれないので難しいところですが、思うに「追憶の航海」は初めてヤマトを見る層よりは寧ろ、ヤマト1974や1977、「さらば...」でヤマトを「卒業」していった層を再び呼び戻すのだ、という意図がある様な気がしてならないのですが...
「【再び呼び戻すのだ】という部分は、おそらく自分が得た感想の【ヤマト1974を裏切らない】という要素とほぼ同じではないかと思うよ」
「昔のヤマトが好きだった人が来ても、それほど大きく裏切られることは無いわけだね」
「そう、むしろ逆にヤマト2199のTVシリーズファンは裏切られる可能性の方が大きい」
「解釈が違うのにTVシリーズと同じ解釈で強引に見てしまうと全体がちぐはぐに見えてしまうわけだね」
「そうだ。再編集版はただのダイジェストでは無いのだ」
「で、本題はそこじゃないんだろう?」
「そうそう。声優・役者だって引き算できるって話」
「でもさ。このシーンは要らないからカット……なんてことは言えないだろう?」
「でもね。演技で強弱は付けられる。冗長な部分はあまり強調せずに勢いで流して、ポイントのところだけ観客が足止めて味わうように、強調して印象づける演技を行うことはできるのだよ」
「それはむしろ演出家の仕事では?」
「アフレコの場で、逆に役者側からの提案することだってできるんだよ」
「でもさ。役者の方が分かっている場合なんてあり得るの?」
「全体を見ている演出家よりも、特定のキャラクターしか見ていない役者の方がよく見える要素もありえるのさ」
「このキャラクターならこういう言い方はしないのでは無いか、という指摘はむしろそのキャラクターになりきった声優の方が指摘できるわけだね」