2015/01/24・博多焼きとりヤマト新年会感想 §
「もし、ヤマトとヤマトファンのどちっが大事なの! って聞かれたらヤマトファンと答えようと思っていたので、新年会(出力全開! 博多焼きとりヤマトから発進!)に行ってきた」
「それで?」
「面白かったことはこのあたりかな」
- 遠くからチラッと聞いただけだが、神さまの方舟評はかなり自分の意見に近かった。というか、聞いた部分だけは完全に同じと言っても良いぐらい同じことを言っていた。その評とはなにかって? それは当分内緒だ
- 若いファン(30歳前後の昭和リアルタイムではない世代)とかなり話せた。冷戦が終わった後で物心が付いている。当然カリメロも知らない
- スタートレックみたいだから方舟好きと熱心に語る人がいた (フォトントーピードも日誌もちゃんと見て分かっていた)
「神さまって誰だよ」
「その場所で神さまと呼ばれていた人」
「だから誰だよ」
「内緒」
「何を語ったんだよ」
「内緒」
「何もかも内緒かよ」
「でもね。ヤマトはここから始まるという印象を持ったよ。ここでヤマト応援団が背中を押すからヤマトはスタートできる。そう思った。そういう意味で凄く重要な場所に居合わせたことになる」
「もう受け手じゃないのかよ」
「受け手でも送り手でもない第3の立場に行った気がするよ」
模型 §
「模型を持ちこんだのか」
「ヤマトで宴会向きということで、【銀河水平波間を越えて】を持っていった」
「なんだよ」
「キリシマとユキカゼに銀河11型の翼を付けたモデル」
「ひ~」
「あと、カナダマークの付いたコスモゼロとコスモハウンド。これは赤毛のアンファンのエイミーさんへのサービス」
「嘘だろ?」
「嘘です。単に作った小物を見せたかっただけ」
むらかわ版コミックヤマト2199第6巻感想 §
「宴会から帰ったら到着していた。間が悪い」
「それで?」
「アンテナ? 衛星……、ヤマトのものではない。ガミラスのだ」
「リレー衛星を見て興奮しておる」
名前: トモネコ
本文:
「涙で本が..]
今日、むらかわヤマト6巻が届きました!
沖田のエピソードが余りにも凄まじく涙で本が読めなくなりました。
ここまで、沖田を責めるのかと愕然と愕然としました。
むらかわヤマトを読む時は視線と目の表情に注目して下さい。
(いかに人物の心理描写にこだわっているかが分かります)
ドメルとエリーサは一度も視線を合わせません!
先生は登場人物の生と性と死を同等に描いています。マンガを簡単な娯楽、単なる暇つぶしとして読んでいる人には重すぎます。
(気楽に楽しむマンガもありますが)
届いた本のページの一部が切れていましたが先生の心の傷と思い、受け入れます。
「さて、視線と目の表情とな」
「何が言いたい」
「自分が超短時間作成の手抜きで下手くそなCG画像をレンダリングする際、ただ1つだけ注意して設定しているものは何か分かるかい?」
「それはなんだい?」
「視線だよ。顔の向きと目の向きだ。それだけは注意して設定している」
「なぜ?」
「意志は視線で表現できるからだ」
「それは釈迦に説法ってことかい?」
「気持ちは良く分かるからありがとうとは言っておこう」
「では6巻の感想は?」
「連載で読むよりは何を言いたいのか分かったのだが、終盤はむしろ分かりにくかった」
「結局、何が分かりにくいんだい?」
「その理由が良く分かった。これはね。TVシリーズの【魔女は囁く】を拡大した内容なのだが、これは思わせぶりな断片の寄せ集めであり、もともと意味が分からない。分からないことがノーマルで、分かってしまうことはむしろおかしい。作者のメッセージを読む取るのでは無く、自分自身の心の中にある言葉を作品に投影しているだけだと思う」
「メッセージとはなんだい?」
「美術品を見るとき【綺麗ですね】で終わってしまう人がいるのだが、それは違うと思う。美醜は基本。前提。その先にメッセージがあるはずだ。そのメッセージを見出すことが美術品と向き合うということ。逆にいえば、美術品を所有することにはあまり意味が無い。メッセージにさえ到達できればそれで良いからだ。まあ手元に置いて毎日見ていないと見出せないメッセージが埋め込まれている場合もあるのだがね」
「つまりなんだい?」
- この6巻の内容は意味が分からないのがノーマルだろうと思う。メッセージはあるが、分からないように折りたたまれている。それを開くためのキーはここにはない。それはアニメの2199の第14話と同じこと
- アニメの2199で特に問題無いと思ったキャラクター描写がどんどん変更されているが、これだけならアニメより上手く描いている感じではない。この先にこう表現されている何か理由が示されることを期待しよう
- 結局、開戦した理由が分からないのは同じ。これで終わりではないことを期待しよう