「これを見て良く分かったが、これらの人達とは感性がかけ離れすぎていて、あまり接点を持ち得ない」
「どこが違うわけ?」
「大きく分類するなら決定的な相違が2つある」
「その2つとは?」
- 全ては相互に関連していて分類することはできないと考えている
- そもそも暗渠という言葉を【暗渠以外には使いたくない】
「相互に関連しているってどういうこと?」
「水路の実在を確認するには地理・歴史が不可欠だが、逆に水路が地理・歴史を照らすのも事実。それは分割できるものではないのだ」
「暗渠という言葉に何か問題が?」
「暗渠とは、地面の下にある水路のことで、何も残っていない単なる水路跡とは別のものだ。その2つを区別しないで全て暗渠と呼ぶのはどうかと思う。もっとも、暗渠蓋の下に本当に空洞があるのか、そこに水があるのかは、なかなか分かりにくい微妙な問題なのだけどね」
「結局、君が見ているものは何なんだい?」
「ある地域そのものだね。ミクロな視点で見てもマクロな視点で見ても、最終的にある地域の理解に貢献する。そして、理解が進めばそれが他のスケールでの視点にも貢献する。そうして視野が広くなってきたのだ」
「視野が広くなるって?」
「たとえば、ガソリンスタンドの立地は水路または水路跡の周辺に多いとか。送電線も水路に沿っていることが多いとか。関係無さそうに見えるいろいろなものが多角的に絡み合っていることが見えてきた。そういう意味で、水路しか見ない趣味は理解が一面的に終わってしまう可能性もあると感じているよ」
「彼らのやっていることは間違い?」
「間違っているわけではないが、自分の趣味とは違うものなのだろう。どちらが正しいというものではないよ」
オマケ §
「ここから先は別の話になるが、なぜ最近はドボク系の人の集まりに全く行かないのか」
「なんで? 行けば面白いものは見られるし、楽しいだろう?」
「でもね。それだけなんだよ」
「君は何を望んでいるんだい?」
「分からないことが分かるようになることだよ」
「知ってる人がいるかもしれないじゃないか」
「もちろんそうだ。でもその可能性はほとんど無い。実績として実際に無かった」
「なんで?」
「分かっている人がそのへんにいるなら、地域の歴史資料館の学芸員に質問した時点で解決している可能性が高いからだ」
「なんてこった!」