昨日、台東区立書道博物館に行った時にもらってきたパンフレットに、浅草寺寺宝展と浅草今昔写真展というものが書いてありました。
浅草今昔写真展は、浅草の幕末から昭和までの写真展ということのようです。私は、こういう東京の昔の写真に弱いので、ぜひ見たいと思いました。ところが、これは今日までしか開催されていません。本当なら、こういうものを見に行くのは、一度の週末に一度だけと決めていましたし、少し風邪気味だったのが治りかけで体調も良くないし、疲れてもいたのですが、それでも例外的に行くことに決定。
新宿から中央線に乗って、お茶の水で総武線に乗り換えて、浅草橋から都営浅草線に乗り換えて浅草で降りるというややこしい経路で来ました。
あの有名な雷門も再び見ることができました。
やって来ました、浅草へ。
しかし、浅草今昔写真展が浅草寺で行われていることは分かりますが、具体的にどこでやっているか分かりません。
しかも、なにやらお祭り騒ぎになっています。
屋台の店や、大道芸人も出ている中をうろうろ歩き回っていると、奥の方で目的の場所に偶然突き当たりました。
実際に中に入ってみましたが、入り口近くは、昭和15~16年ぐらいの写真が多く、こういう場所の雰囲気は現在とかなり似通った感があって、イマイチ感がありました。しかし、中に入っていろいろな写真を見ると、あまりに面白くて見入ってしまいました。幕末から、明治、大正、昭和まで。様々な写真があります。幕末というのは、既に写真の技術が入ってきていますから、当然写真はあるわけですね。それから浅草寺はもちろん、花屋敷や浅草十二階などの写真もあって、面白かったですね。幕末の花屋敷の写真、などというものは、けっこう新鮮な驚きを感じさせてくれました。このあたりを見ると、「1853年(嘉永6年)オープン」と書いてありますね。確かに幕末からあったようです。
同じ建物内の浅草寺寺宝展も、写真と混在するように行われていたようです。こちらは、仏像や古い絵がいろいろあって、これも面白かったと思います。
こういうことが可能な浅草寺というのは、やはり凄いものだと思います。京都や奈良の寺が凄いことは分かりますが、浅草寺も歴史がきわめて長く、侮れない奥深さがありますね。
それから、気になったのは、周囲で聞こえる観光客の会話が日本語ではないことが多いこと。日本人かと思っても、口から出る言葉が違っていたりします。国際的ですね。しかし、これはもしかしたら昔からそういうものだったのかもしれません。浅草寺が生まれた頃の浅草は港町です。外国船、あるいは外国人の商人が頻繁に浅草を訪れていたとしても不思議ではありませんね。
それはさておき、他にも用事がいろいろあるので、長居はせずにストレートに帰ってきました。これを書いたあと、選挙に行って、その帰りにスーパーにも寄らねばなりません。同居している両親が北陸に旅行に行ってしまったので、やることが多くて大変です。
ちなみに、このあたりはサクラ大戦にゆかりの深い場所でもありますね。雷門の提灯がぐるっとまわって「出撃」になってみたり。その先は、地面がぱっくり開いて翔鯨丸の発進路になるし。奥の方に花屋敷は華撃団の支部があるし。実際に行ってみると、そういうイメージを触発され、喚起させる何か非日常的な何かがあるような気がします。
それから、ソニックXで、ソニックが日本を走っているときに、ここで人形焼きをご馳走になって、"Great!"と言っていたような気がしたので、人形焼きを1個だけ買って食べてみました。これがソニックが食べた人形焼きかどうか分かりませんが、それなりに美味かったですね。
更に余談。昼食には、珍しく牛肉を串に刺して焼いて出す屋台を見つけて食べてみました。塩とたれを選べたり、ノリは焼き鳥? 出されたものは串の先が燃えている状態で驚かされました。味はけっこう美味いと思いましたが、これでは満腹になりません。更に広島焼きの屋台で1つ買って食べました。屋台の後ろにテーブルで、日本語ではない言語で会話するおばちゃん達の横に座って食べました。中身は不思議と刻んだキャベツが大半を占めるという「これが広島焼き?」というものでしたが、キャベツが多いことはむしろ好ましい感じでした。