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2006年05月09日
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実は京王線の経路こそ玉川上水跡だった!? 地図合成による新宿近辺の玉川上水流路確定作業

Written By: 川俣 晶連絡先

 玉川上水跡の経路は、京王線笹塚駅のやや先まではほぼ明瞭に分かります。玉川上水を名前に冠する公園や、流水が残る区画が多いためです。

 しかし、その先は、地図を見てもほとんど分かりません。位置を説明するサイトもありますが、言葉で説明されてもピンと来ません。

 そこで、玉川上水が明瞭に記載された複製古地図と、現代の地図を重ね合わせて、位置を特定するという作業をやってみました。前からやろうと思っていましたが、PS2を修理に出してACE COMBAT三昧というわけにも行かなくなったので、実行できたお楽しみということです。

使用地図 §

現在 §

  • 昭文社東京都エアリアマップ
  • 東京全図
  • ISBN 4398913807
  • 2000年7月4版19刷 (現在というにはちょっと古いな……)
  • 1:45000

§

  • 複製古地図
  • 東京近傍中部
  • 明治十三年測量同十九年製版
  • 1:20000

ちなみに、まだ山手線が存在しない時代の地図で、新宿には鉄道が敷かれていません。玉川上水の流路は明瞭に記載されています。淀橋浄水場も存在せず、玉川上水から淀橋浄水場に向けて作られた流路もまだ存在しない時代です。ゆえに、近代的な測量法が使われていますが、江戸時代の玉川上水がほぼそのまま残っていると見なせると思います。

作業手順 §

 埃をかぶったEPSON GT-7700Uを取り出してきて、デバイスドライバをインストールし、接続。

 地図を広げて甲州街道の松原交差点のあたりから、新宿近辺を超えて、四谷のあたりまで収まるように、地図を上手く畳んだり広げたりしながらスキャン面に押しつけて取り込み。

 読み取りソフトはAdobe PhotoShop CSを使用。(以後の作業も全てこれで実行)

 「東京近傍中部」は2つに分かれてしまいました。つまり3つの画像が得られました。

 「東京全図」は300dpiでしたが、「東京近傍中部」は自動的に150dpiで取り込まれていました。そこで、「東京近傍中部」を300dpiに変更した上で、地図の縮尺率を「東京全図」と同じ1:45000に併せて解像度を変更。それから、「東京全図」の上に別レイヤーとして2枚に分かれた「東京近傍中部」を貼り付け。

 上のレイヤーを半透明(75%ぐらい)に修正して、甲州街道と青梅街道を頼りに位置合わせを実行。新宿追分け(甲州街道と青梅街道の分岐点)が位置合わせの決め手になりました。

 あとは色や透過度を調整して見やすいようにしました。色は白黒反転させると見やすいように感じられました。

 ちなみに、花園神社は完全に同じ位置に重なりましたので、おおむね正しく重ね合わせはできたと思います。

 地図にも著作権があるので、成果を大々的に見せることはできませんが、ほんの一部だけ以下に抜粋引用。

合成地図抜粋

 ちなみに、見難いと思いますが、使うときはレイヤーをオンオフしながら見ています。

地図を見る §

 まず、非常に残念なこと。

 それは、「東京近傍中部」に描かれた玉川上水が、新宿御苑の途中で途切れていることです。その先が存在することは間違いないのですが、もしかしたらもとも暗渠だったのかもしれません。あとで、よく調べる必要があります。

 さて、今回の収穫は、何と言っても、新宿近辺での京王線と経路と玉川上水の経路の関係を見いだせたような気がすることです。

 実は新宿より西側の甲州街道の南側には細長い公園が存在します。

 この公園は、地下に京王線が走っているような気がする位置にありましたが、それにしては不自然なものでした。もしや、玉川上水跡なのか……という印象もあります。はたして、「地下に京王線」なのか「玉川上水跡」なのか……。

 地図重ね合わせの結果、その答えが出たような気がします。

 つまり両方正解です。

 幡ヶ谷駅のやや先から、京王線(新線ではない方)と、玉川上水は酷似した経路をたどっているように見えます。

 つまり、京王線が甲州街道の路上を走るのをやめ、初台以降を地下路線に切り替えた際、そのための土地は甲州街道と平行して存在した玉川上水の敷地を使ったと考えるとすっきりします。

注: 京王線の新宿付近で最初に地下化されたのは初台以降で、笹塚以降の地下化はそれよりも後になる。

注: 玉川上水の水は、淀橋浄水場に送るために松原交差点あたりから別経路で水を流していたので、このあたりの水路は使われていないか、使われていても大きな意味を持っていなかったと推定。つまり、鉄道用地として使っても問題はないのかも。

その他 §

 ほとんどの細い道は、昔と今で一致しません。

 ところが、一部に極めて酷似する道があります。これは興味深いですね。おそらくは江戸時代から続く道が残っている箇所があるということですから。

 ちなみに、代田橋駅近くで、玉川上水が甲州街道の下をくぐっている箇所も、はっきりと橋として描かれています。それが今は、道が太くなった結果として、全てが甲州街道の下に収まってしまっている状況も見て取れます。

感想 §

 やはり地図は面白いですね。

 重ね合わせると、もっと面白い。

 古地図も電子化されて、緯度経度から簡単にピタッと重ね合わせができると、もっと楽しいと思います。いやまあ、西洋の測量術が入ってくる前の地図、あるいは意図的に正確な描写をしていない鉄道会社の観光案内地図などは、重ね合わせの対象にはなりませんが…… (汗。

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