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自分がなすべきことを、しっかりと思い出した三志郎にためらいはない。不敵に笑い、自分と友のために、鋭さと慈愛に満ちた戦いを見せる。
トーノZERO, THE BELKANアニメ感想家(笑)のアニメ感想を参ります。
今日の妖逆門の感想。
サブタイトル §
第41話 『涙の河を越えて』
あらすじ §
鬼の面を付け、陰の力を振るう修に、三志郎は押されます。
しかし、清との約束(修を助ける)を思い出し、三志郎は修に語りかけます。
自分が求める勝利がこのようなものではないと気付いた修は、クラギの撃符を捨てます。
それを不快に思った鬼仮面は、修を抹殺しようとします。
修の個魔のムガは、それを必死に止めようとします。修は自分の心に打ち勝ち、撃符を使ってムガを助けると共に敗者としてゲームから退場します。
怒りに燃えた三志郎は、鬼仮面を攻撃します。
感想 §
鬼仮面の圧倒的な力に惚れ込んだ修は、鬼仮面の力を手に入れています。
まさに、自分の心の弱さを鬼仮面に弄ばれた感じのある彼です。
ここで問題になるのは、彼が鬼仮面の呪縛から解放されるとき、それが外部からの強制力によって成し遂げられるのか、それとも自分で自分を解放するかです。もし、前者であれば、彼が持つ「力と完全さ」への信仰は終わらないでしょう。なぜなら、外部からの強制力とは、彼が信奉する力そのものだからです。それは、永遠に終わらない負の螺旋に落ち込む選択です。
しかし、今回見せてくれたのは、後者の選択です。修は、三志郎の言葉や行動によって、自分の中で自分のあるべき姿を見出します。その姿と現状の違いに気付いた修は、自分で自分を解放します。そのことは、彼が語る理想像の言葉にストレートに出ています。
実は、修はゲームには負けていますが、鬼仮面には勝ったと言えます。鬼仮面が用意したシナリオを自力で打ち破ったわけですから。他の仲間達は、経緯はあれど誰もが敗者としてゲームから退場したことと比較して、修の立場は特異的かもしれません。
そして、仲間の中で修が最後に退場したことは、その特異的な立場ゆえのことかもしれません。
今回の一言 §
前回からの新ED、前回とは絵が一部違うようですね。
ロンドンの思い出が抜かれて、そこに本来あるべき絵が入った?
それにしても、この新EDは凄く良いですね。
ちなみに、この新EDのきみどりに触発されたのか、新ED版きみどりの絵を描いている人が幾人か見られますね。